2016年5月1日日曜日

「慈善」についての考察。

九州で大きな地震がありました。
熊本を始めとする被災された皆様には心よりお悔やみと御見舞いを申し上げます。
我々神楽亭も、ボランティア活動に参加するべく調整を取るべく動いております。今暫くお待ちください。

さて、最近ある慈善家の活動に参加させて頂いており、その活動の一端を垣間見る機会を得ましたが、その感想を言わせていただきますと「全ては解らない。ただ足を引っ張らずに自分の仕事を粛々とこなすのみ。」に行き着くかと感じました。

その昔、イギリス王室から世界で最初にエベレストに登るのは英国人でなければならないと派遣されたジョージ・E・マロリーは、記者会見で「何故山に登るのか?」と、問われて「なぜならそこに山があるから。」と答えたのは有名な話なんですけど、


そもそも「慈善」という事への「初期衝動」に理由はないのですね。
そこに「地位」とか「名誉」とか「利害」を考える隙間なんてものは微塵もないと言う事を、改めて噛みしめたわけです。逆をいえば、「利潤を求める」ことであってもその「初期衝動」が純粋であれば、そこには光のようなモノが必ず差し込むとも感じました。


例えば、矢沢永吉さんの有名な話で、
キャロルでデビューして間もなくほぼ無名な時期、ある雑誌記者に「何故芸能界に入ったの?」と聞かれたときに、「お金が儲かるってききましたので。」と答えたのは、純粋な気持ちだったんだと思うのです、やはり。女性にモテたいところからギターを始めたワタクシなどは、「初期衝動」でやはり不純だったんだと悟るわけです。(笑)

それで、改心しなくてはとお手伝いするんですね。
お寺に出家して修行をするように、「こんなオレが改心できるのか?でも無心でやらなければ。」とです。

人生50数年生きてきて、
どんどん「慈善」と「純粋」と「無心」を忘れてゆく自分を恥じます。
本当に恥ております。

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