2016年6月2日木曜日

★トンネルと白鳥と弁当についての考察★


こんにちは。
何か朝のニュースで、スイスの山間部を抜けるトンネルができ、その長さが世界一となったらしくついに我が「青函トンネル」は2位に甘んずる事となり、少し寂しい気持ちになりました。

なんでも、このスイスのトンネルの総工費は1兆円との事で、国家事業の総工費にしては思わず「安っ!」と感じまして、日本の青函トンネルなら色々利権が絡んで、そんな金額ではおさまらないだろうなと調べましたところ1987年のレートで9000億円らしく、そりゃアルプスとかをくり抜いてトンネルを貫通させたのは大変だったんでしょうけど、こちとらなにしろ海底トンネルですからね、(笑)安く上げたんだなぁと感じました。ま、もっとも9000億円ってお金に対する感覚は全くありませんが。(笑)


その青函トンネルの事を色々調べていました所。
昔、青森から大阪を往復していた「白鳥」という特急列車の事が載っておりまして、「懐かしいなぁー。」と思わず声が出てしまいました。この列車には思い出があるのです。


ワタクシの兄が13歳の時(昭和50年)重い腎炎を発症しまして、その頃ワタクシの故郷には、兄の病気に対して人員的にもインフラ的にも対処できる病院がなく、隣の新潟県の病院へ移されまして、月に一度母が兄の世話をしに新潟に行くことになりました。日曜日には時々ワタクシも連れて行ってもらい、その時乗ったのが「白鳥」号だったんです。


その当時、ウチは裕福だったわけではありませんでしたが、オヤジはワタクシが母について行く時は座席指定券を無理して買ってくれました。鶴岡から新潟までの約3時間、時々楽しみがあったのです。


大抵は、お昼頃に母の作った弁当を食べていましたが、たまに何らかの事情で弁当がない時、当時の「白鳥」号には食堂車が付いていて、母はそこへ連れていってくれました。食堂車は、両側にテーブルが3つずつも並んでいたでしょうか、4人掛けでその一つに座ります。進行方向右側の日本海が眺められる席は人気で、「予約」の札がテーブルの上に乗っていましたが、たまに空いているとそこに座ることができました。


その食堂車で、
ワタクシは生まれて初めて「ピザ」というもの食べました。値段も覚えています、400円でした。(笑)ラーメンを出前で取ると200円前後の頃です、そのペラペラの生地にサラミとタマネギとピーマンとスライスチーズののっかった、直径15センチ程の円いモノを、リボン・オレンジと共に食したあの味のなんと美味かったことか!。(笑)なんて贅沢な旅なんだろう、特急列車と食堂車。「白鳥」号にはそんな思い出があるんですね、そんな…。


でもね、
今食べたいのはむしろ、オフクロが作ってくれた弁当の方なんですね、やはり。
今みたいに密閉式の容器なんてなくて、オヤジハンカチみたいなのに包まれたのは、少し煮汁みたいなのでシミてたりして、アルミホイルにくるまれたバクダンおにぎりの中身は筋子で、ちょっとみがきニシンの味が移っちゃった甘い卵焼き。


不安げな表情で兄貴の事を考えていたのであろう母の横顔を眺めながら、
食べたあの弁当が今、無性に食べたいのであります。

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