2016年4月2日土曜日

★なんとなく「見せしめ」という言葉への考察★

今年も東京での桜が満開の頃になりました。
我々神楽亭、3月3本のライブを行いまして、ワタクシと中村研司二人になりましたが、少しづつ二人でのビート感を掴みまして、ひとライブ事に良くなっていることを実感しております。4月は、最近お馴染みとなっております渋谷喫茶smileさんと、多趣味の素敵なマスターのお店、久我山Bobby's Barさんでのワンマンライブであります。皆様是非お越し下さいませー。


さて、今度「アイヒマンショー」という映画が封切りされるそうですね。
これは1961年にイスラエルの諜報機関「モサド」により逮捕・連行された元ナチスの将校、アドルフ・アイヒマンの戦犯裁判をテレビで世界に公開した男達の真実の記録でありまして、実際公開された放送も賛否両論を巻き起こしたらしく、ワタクシも是非観たいと考えております。


アイヒマンさんは、いわゆる「ホロコースト」における各強制収容所にユダヤ人を輸送する為の部署の中核にいた人物だったそうで、ナチスドイツ降伏後は偽名を使い赤十字が発行した難民証明書を使い、ペロン政権下のアルゼンチン・ブエノスアイレスに逃亡・潜伏していたわけですが、「モサド」の執拗な追跡により拘束、イスラエルに護送され戦犯公開裁判後、死刑が確定し絞首刑となりました。


実はワタクシ、前にこのアイヒマン裁判の公開記録部分を編集したドキュメンタリー映画「スペシャリスト」というのを観たのですが、どーもこのアイヒマンという男の元ナチス将校という冷血なイメージとは違った、ごく普通の事務方然とした淡々と証言を重ねる姿に、強い人間性を感じましたし、逆にイスラエル側の検事の「逆上的」なまでの、「ユダヤ人」としての感情が表に出た尋問。またなにひとつ仕事をしているようには見えない弁護人など、非常に「みせしめ」的な感想を持ちました。


これは前にも同じ感想を抱いた「ニュールンベルグ裁判」や「東京裁判」と同じ、やはり戦勝国である連合国側が敗戦国の戦犯を裁くという「見せしめ」の図式が大きいのだと思うんですね。ただし、「人道に対する罪」の部分では、ホロコーストを行なったナチスと大日本帝国とでは、多少の違いもありまた、「東京裁判」で事後法で裁かれた日本の戦犯に対しては今も司法の世界で賛否が問われています。「アイヒマン裁判」もまた、国際裁判ではなくイスラエルがナチスドイツの一将校を一方的に裁いた意味においては、やはり「見せしめ」の意味が強いような気がするんですよ。


ハンナ・アーレントという哲学者は、
ユダヤ人でありながらも、この裁判を見てアルゼンチンの内政を無視し非合法でアイヒマンを拘束・連行したイスラエル政府を非難し、「人道に対する罪」であるならば、広島・長崎に原爆を落とした連合国側もまた裁かれなければならないと、東京裁判で弁護人となった米国人弁護士と同じ発言をして、シオニズムロビーから物凄い非難を受けました。


第一次中東戦争では、ナチスの残党がパレスチナ側についてイスラエルと戦いましたよね。勝手に国境線を作りイスラエルの独立を認めてしまった国連の責任は大きいんだと思いますよ。そしてこの問題を、「見せしめ」の方法で当時の世界の感情をまぎらわせて、現在世界で渦巻く「難民問題」になんの打開策を取ることのできない常任理事国。


フセインもビン・ラディンもカダフィでさえ、
「見せしめ」だったんですかね?



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