2016年8月26日金曜日

★ワタクシ的0歳〜51歳までの音楽拝聴遍歴についての考察。①★



考えてみますと…。
音楽をやっている立場としては、今迄に聴いてきました音楽に格調高きものがあったのか?問い詰めたりすることもなく、ま、書いてみますか。

昭和39年に山形県鶴岡市鳥居町という場所で生まれるわけですね。
現在でも、その頃にワタクシのオヤジが聴いていたライブラリーが実家に残っておりますが、当時はラテンブームだったらしく、東京キューバン・ボーイズのLPが5枚、シングルが10数枚ありまして、それらに混じり二代目広沢虎造師匠の「清水次郎長伝」シリーズ、まいわゆる浪曲の「寿司くいねぇ…」的LPが数枚、何故かザ・プラターズの定番シングル数枚などがありますけれど、…。


いわゆるオフクロのお腹の中で、これらのレコードを「胎教」として聴いていたかは、モチロン定かではありません。しかし、オヤジに触発される事もなく今でもワタクシの兄貴共々虎造師匠の大ファンでありますし、泥酔した30代のある日の明け方、友人のアパートで聴いた1曲に触発され、その足で吉祥寺の新星堂の開店を待って購入したブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのサントラ盤などをみても、何故あの時キューバン・ソンに触手がはたらいたのかは、やはり「胎教」のせいだったのかも知れません。


物心を着きましたときには、
隣市でもある山形県酒田市高砂という海辺の村に引っ越しておりまして、すぐ裏の防砂林を超えると、日本海が望める夏素晴らしく冬厳しい場所でしたが、近所に布団に詰める綿工場がありまして、そこの玄関先の土間に家具調のステレオが置いてありまして、そこの家のお兄さんがよく掛けてくれたのが中尾ミエさんの「かわいいベイビー」でした。


余り何度も掛けるもんですから、ワタクシこの曲をソラで歌えるようになってしまい、夕方家に帰ってからも大声でリピートして歌い、オヤジからキツーいゲンコツを喰らった思い出があります。(笑)3歳にして、アメリカン・ポップスへの初期衝動だったのでしょうか。(笑)


小学一年生を終了するまで酒田市におりまして、二年生から鶴岡に戻りまして。
三年生の時、西城秀樹さんにかぶれました。(笑)初めて自分でポップスのレコードを買ったのが秀樹さんの「ちぎれた愛」でありましたし、「薔薇の鎖」でのロッド・スチュアートばりのマイクアクションは、もしかしたら最初にロックに触れた時だったのかも知れません。そんな頃、秀樹さんが鶴岡にコンサートしに来る事になり、飛び上がりました!。(笑)当時、田舎にはプレイガイド的な場所はありませんでしたので、レコード屋さんがチケットの販売場所になっておりまして、「銀座堂」という今はもうないそのレコード屋さんに、大友君という同級生と並びましたが、我々の10人位前で売り切れるという、絶望も初めて経験したと思います。(笑)


その後、フォーリーブスのコンサートなんかも観ました。
物凄い大きなスピーカーから出る爆音。乱れ飛ぶ紙テープ、まさに黄色い絶叫。アイドルとはなんたるかを知りました。四年生になると兄貴が中学となり、兄貴のライブラリーに吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、チューリップなどのフォーク系、またビートルズ、カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョン等の洋楽が入ってきましたが、弟のワタクシがそれらの大切なレコードを掛ける事は無論ゆるされず、病気で寝ている時、こっそり隠れて掛けて聴いていましたー。


熱で半ばうなされながら吉田拓郎の「人生を語らず」を聴く小学四年生。
タイムマシンがあるなら、あの時の自分を褒めてあげたいです。(笑)


中学生になりました。
兄貴がFを押さえられなく挫折した、ネックが思いっきり反ったフォーク・ギターを片手に
明星の付録の歌本からひろったコードで歌うことのできたワタクシに、アメリカからとんでもないバンドがやってきます。

KISSです。
NHKのヤング・ミュージックショーで観た彼らの武道館公演に鳥肌が立ちました。今同世代の方でハードロックのアプローチを続けている方の、おおよそ8割方は彼処からスタートされたと断言して差し支えないと思います、その位衝撃的でした。その頃になると、二光の通販あるいは、明星の歌本の裏表紙にあったトムソン・トーマスなどの安いエレキギターを購入する同級生が出てきて、ツェッペリンやパープルやジミヘン等を遡っていくわけですね。「デトロイト・ロックシティ」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「天国への階段」は鶴岡のロック少年の三種の神器といっても過言ではなかったかと思います。(笑)


しかし、当時のワタクシはフォークギターにカポタストをつけて、知っているコードの曲しか歌えないただのフォーク好きの少年でしたので、ハイコードを多用するハードロックのスコアについてゆけるはずもなく、また英詞をメロディに乗せることにも慣れずに、レコードは聴いていたのですが、途中で寝ちゃったりしてました。特にクイーンとか。(笑)「日本語で歌うロックの人っていないのかな?」とか、漠然と考えてたりしたわけです。なにしろ地方には情報がなさ過ぎました。


ちょっと疲れちゃいましたね。
続きは次回ということでよろしくお願いいたしますー。

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