2016年5月8日日曜日

ブルース的に見る「裏方」さん達についての考察。

こんにちは。
遅くなりましたが我々神楽亭、4月28日(木曜日)久我山Bobby's barさんにてワンマンライブがありました。そぼ降る小雨模様の中にもかかわらず、満卓のお客様の御来店ありがとうございました。ゲストにアルトサックスの古家野昌樹を迎えまして、いつもと違う最高の2ステージを行えたと思います。オーナーのBobbyさん始めとするスタッフの皆さん、ありがとうございましたー。

そして、昨日は高円寺mission'sにおきましての熊本・大分九州地震復興支援チャリティーライブ「DaGo support」に参加させていただきました。久し振りのしっかりとしたライブハウスでのライブ、楽しかったですよ。共演のバンドの皆様、Da Go support実行委員の皆様、高円寺mission's熟練の運営・音響・照明のスタッフの皆様、ありがとうございました、気持ちイイー一夜でありました。

さて、音楽を志して約四半世紀。
もうどの位ステージに上がったのでしょうか?
たまに一人でどこかの店で飲んだりしておりますと、ま、一人なワケですからそこのお店の人達の働いている瞬間を垣間見たりするわけです。それを生業にして「サービス業」の方達は生活しているのでしょうけど、ワタクシも実家が商売人として「商人のセガレ」として、やはりサービス業としての理不尽さに喜怒哀楽を噛み締める時があるんですね。


よく、「金払ってるんだからサービスして当たり前。」的なことで、酔客とお店側でトラブルが発生します。何もこれは飲食に限らず一般のサービス業でも起こります。しかし、サービスしている側の方々もやはり人間ですから、「お金の問題じゃない」的な感情も発生しますよね。

ワタクシの場合は、リハーサル時に徹底的にこれからやるライブのために、不安なものを取り除きたいとお店側の方達とディスカッションするようにしています。ま、ワタクシが神経質で不安症な性格ってのが一番いただけない所なんですけど。(笑)歳を重ねて行くにつれて、臆病になっていくのですよ。「ライブは生き物だから…」的な感覚にはなれず、どーしても可能性があるかぎり「いつもどおりの神楽亭を観てもらいたい。」と、あがくんですね。

でも、いわゆる「裏方」の方々は慈悲の心でいつもワタクシの気持ちを汲んでくれるのですね。例えば、ボトム(低音)の音が足りないと悩む→PA(音響)の方は狼狽えているワタクシの顔を見て、落としどころを一生懸命探してくれる。とか、当日初対面なのに登場時の曲に対して色々めんどくさい事を頼む。→照明・構成のスタッフがイメージを膨らませてくれる。なんて事の連続なんですよ。ですから研ちゃんにもよく言ってるんですが、スタッフいわゆる「裏方」の方には「ありがとう。」と言える時間を作ろうといつも言っております。「お金だけではない」彼らの気持ちに対してなのです。


でもね、
多分「裏方」の皆さん、仕事終わって一杯飲んでる時に言ってるんでしょうね。
「今日の神楽亭っての、面倒くさかったな。」って。(笑)
ワタクシも実家のオヤジの商売手伝ってた時、よく言ってました。でもそれ、同時にやりたくない仕事をしている自分への、なんといいますか恥のような、後ろめたさみたいな気持ちでした。「ヤなことやってる対価」では続かないんですよね、やはり。

本当に感謝しています。
ありがとう。





2016年5月1日日曜日

「慈善」についての考察。

九州で大きな地震がありました。
熊本を始めとする被災された皆様には心よりお悔やみと御見舞いを申し上げます。
我々神楽亭も、ボランティア活動に参加するべく調整を取るべく動いております。今暫くお待ちください。

さて、最近ある慈善家の活動に参加させて頂いており、その活動の一端を垣間見る機会を得ましたが、その感想を言わせていただきますと「全ては解らない。ただ足を引っ張らずに自分の仕事を粛々とこなすのみ。」に行き着くかと感じました。

その昔、イギリス王室から世界で最初にエベレストに登るのは英国人でなければならないと派遣されたジョージ・E・マロリーは、記者会見で「何故山に登るのか?」と、問われて「なぜならそこに山があるから。」と答えたのは有名な話なんですけど、


そもそも「慈善」という事への「初期衝動」に理由はないのですね。
そこに「地位」とか「名誉」とか「利害」を考える隙間なんてものは微塵もないと言う事を、改めて噛みしめたわけです。逆をいえば、「利潤を求める」ことであってもその「初期衝動」が純粋であれば、そこには光のようなモノが必ず差し込むとも感じました。


例えば、矢沢永吉さんの有名な話で、
キャロルでデビューして間もなくほぼ無名な時期、ある雑誌記者に「何故芸能界に入ったの?」と聞かれたときに、「お金が儲かるってききましたので。」と答えたのは、純粋な気持ちだったんだと思うのです、やはり。女性にモテたいところからギターを始めたワタクシなどは、「初期衝動」でやはり不純だったんだと悟るわけです。(笑)

それで、改心しなくてはとお手伝いするんですね。
お寺に出家して修行をするように、「こんなオレが改心できるのか?でも無心でやらなければ。」とです。

人生50数年生きてきて、
どんどん「慈善」と「純粋」と「無心」を忘れてゆく自分を恥じます。
本当に恥ております。

2016年4月10日日曜日

★スポーツ選手の実力世界についての考察★

こんにちは。
そろそろ東京での桜も終わりでしょうか。
今年は例年になく色々な場所でお花見しました。季節の変わり目をいつになく噛み締められました。そんな中、我々神楽亭4月15日に渋谷の喫茶smileさんで今月最初のライブです。
そろそろ二人でのアンサンブルにも慣れてきました。是非お越し下さい。


さてワタクシも今から30数年前は、アスリートの端くれでありまして競泳選手でありました。小学3年の終わりから、故郷山形県鶴岡市にある鶴岡スイムクラブに入り、高校3年の夏季国体で引退するおよそ9年間、毎週月曜日を除きガチで朝は5時30分から7時過ぎまで、夕方は6時頃から8時30分まで泳ぎました。合宿で一日最大30000m位泳いだでしょうか。ま、とにかく現在の怠惰で飲んだくれの自分を当時の少年のワタクシが見たら、軽蔑される事は間違いないと思います。(笑)

そんなワタクシが在籍したクラブから、苦節45年目にして初の五輪代表選手が誕生しました。

小関也朱篤(こせきやすひろ)選手24歳、現在はミキハウスに所属するプロのスイマーです。なんと彼はあの北島康介君と同じ平泳ぎの選手なんですけど、今回のリオ五輪の派遣選考会では100mも200mも北島君を破り優勝しましたー。しかも200mでは世界新記録に迫るペースでの優勝だったのですよ!。また、彼を高校時代まで教えた現キムラスイミング代表の木村憲氏は、ワタクシの同級生で共に鶴岡スイムクラブ時代の仲間でもあるのです。


小関選手のリオ代表がかかったこの派遣選考会。
最近はほぼ水に浸かることはなく、酒浸りなオジサンと化したOBのワタクシも、酒瓶をテーブルに置き19:00のNHKニュース辺りからまだかまだかと飲み始め、100で小関選手が優勝すれば完全に記憶がなくなるほど飲み、また200mでは世界新記録を出してしまいそうになれば、テレビに向かって叫び続け、しかも右手にはグラスをしっかと持ったままという…(笑)。そして代表が決まった瞬間には大声を出し、余韻に浸りまた飲む、さらに飲む最高のひとときでありましたー。


しかし、
しかしですよ。
どーしても納得いかない出来事がありました。
それは100m・200m平泳ぎで優勝したのは小関選手であったのにも関わらず、先にインタビューを受けたり時間を長く割かれるのは、北島康介君であったと言う事でした。特に200m決勝後、北島君は引退を表明していましたので、小関選手の表彰式を全てカットしたNHKには激怒しております。民放ならいざ知らずでね。


それは確かに五輪二連覇して、ここ約10年間日本の平泳ぎを牽引してきた彼は素晴らしい。また、民放であるならばスポンサー等の兼ね合いもあるでしょうから、有る程度な「北島優先」はしかたないでしょう。しかし、NHKならば先ず代表に選ばれて、北島君が泳いだことのない記録で泳いだ小関選手を讃え、それに敬意を表して表彰式までしっかり放送してから北島君でもよかったのではと切に感じましたし、また民放サイドにも日本コカコーラ完全スポンサードの下、翌日にでも一時間特番すれば?「サヨナラ北島康介」的な番組をと、本気で怒りを覚えました。


それでね。
小関選手には、マスコミのみなさんあまり余計な取材とか変なプレッシャーかけるのやめて欲しいのです。今日の夕方のニュースでも「きっと北島選手の気持ちは後輩が受け継いでくれます。」的なコメントが多かったんですけど、そんなのはあくまで建前で本当の意味で他の選手の気もちは「早く北島に引導を渡さないと、オリンピックじゃ勝てない。」なんですよ。オリンピックで最終的にメダルを取るのは本人です。ましてや、陸上とか水泳とかの個人競技であれば尚更です。一個人選手の協力者(親族・競技関係者)というものは、真に見返りを求めず献身的なんですよ。インタビューの時、そんな人達のことを想い選手は泣くのです。


商品を売る為のスポンサー
購読数や視聴率しか考えないマスコミ

そんなモノのために、彼らは泳ぎませんよ。
最終的には自分との闘いなんですよ。






2016年4月2日土曜日

★なんとなく「見せしめ」という言葉への考察★

今年も東京での桜が満開の頃になりました。
我々神楽亭、3月3本のライブを行いまして、ワタクシと中村研司二人になりましたが、少しづつ二人でのビート感を掴みまして、ひとライブ事に良くなっていることを実感しております。4月は、最近お馴染みとなっております渋谷喫茶smileさんと、多趣味の素敵なマスターのお店、久我山Bobby's Barさんでのワンマンライブであります。皆様是非お越し下さいませー。


さて、今度「アイヒマンショー」という映画が封切りされるそうですね。
これは1961年にイスラエルの諜報機関「モサド」により逮捕・連行された元ナチスの将校、アドルフ・アイヒマンの戦犯裁判をテレビで世界に公開した男達の真実の記録でありまして、実際公開された放送も賛否両論を巻き起こしたらしく、ワタクシも是非観たいと考えております。


アイヒマンさんは、いわゆる「ホロコースト」における各強制収容所にユダヤ人を輸送する為の部署の中核にいた人物だったそうで、ナチスドイツ降伏後は偽名を使い赤十字が発行した難民証明書を使い、ペロン政権下のアルゼンチン・ブエノスアイレスに逃亡・潜伏していたわけですが、「モサド」の執拗な追跡により拘束、イスラエルに護送され戦犯公開裁判後、死刑が確定し絞首刑となりました。


実はワタクシ、前にこのアイヒマン裁判の公開記録部分を編集したドキュメンタリー映画「スペシャリスト」というのを観たのですが、どーもこのアイヒマンという男の元ナチス将校という冷血なイメージとは違った、ごく普通の事務方然とした淡々と証言を重ねる姿に、強い人間性を感じましたし、逆にイスラエル側の検事の「逆上的」なまでの、「ユダヤ人」としての感情が表に出た尋問。またなにひとつ仕事をしているようには見えない弁護人など、非常に「みせしめ」的な感想を持ちました。


これは前にも同じ感想を抱いた「ニュールンベルグ裁判」や「東京裁判」と同じ、やはり戦勝国である連合国側が敗戦国の戦犯を裁くという「見せしめ」の図式が大きいのだと思うんですね。ただし、「人道に対する罪」の部分では、ホロコーストを行なったナチスと大日本帝国とでは、多少の違いもありまた、「東京裁判」で事後法で裁かれた日本の戦犯に対しては今も司法の世界で賛否が問われています。「アイヒマン裁判」もまた、国際裁判ではなくイスラエルがナチスドイツの一将校を一方的に裁いた意味においては、やはり「見せしめ」の意味が強いような気がするんですよ。


ハンナ・アーレントという哲学者は、
ユダヤ人でありながらも、この裁判を見てアルゼンチンの内政を無視し非合法でアイヒマンを拘束・連行したイスラエル政府を非難し、「人道に対する罪」であるならば、広島・長崎に原爆を落とした連合国側もまた裁かれなければならないと、東京裁判で弁護人となった米国人弁護士と同じ発言をして、シオニズムロビーから物凄い非難を受けました。


第一次中東戦争では、ナチスの残党がパレスチナ側についてイスラエルと戦いましたよね。勝手に国境線を作りイスラエルの独立を認めてしまった国連の責任は大きいんだと思いますよ。そしてこの問題を、「見せしめ」の方法で当時の世界の感情をまぎらわせて、現在世界で渦巻く「難民問題」になんの打開策を取ることのできない常任理事国。


フセインもビン・ラディンもカダフィでさえ、
「見せしめ」だったんですかね?



2016年3月21日月曜日

★ちょっと卑しいんですが、「食う」ことの考察★


さる18日、我々神楽亭八王子SKY DOGさんでの投げ銭ライブ無事終了しました。
今回中村研司が源泉徴収の還付金で購入した新兵器、簡易PAアンプ「cube streetEX50」を使用したのですが、リハーサル時には初めての機材をなかなか使いこなせず新曲を煮詰めることもできなかったりと、まぁ二人になったところでの慣れない部分がまた出ましたが、こういうのは今年一年ライブを重ねていく所で少しずつ修正されていくわけですから、あんまり気にしても仕方ないのですよ。


本番は前回のライブから二人でリズムの取り方に集中しつつ、多少の開き直りと共に全開させていただきましたー。(笑)二人でも何も変わらないことを確認できたと思います。
遠くは千葉県の市川市辺りから東京を横断する形で八王子に来られた方をはじめ、また沢山のお客様にご来店いただきました。メンバー・スタッフ一同心より御礼申し上げます。
更に向かいます。


さて、今回は「食べ物」について書く訳ですけど、
恥ずかしくも50年生きてきた所で、先ず子供の頃の「味覚に対する感覚」で一般の方ひとりひとりの「食文化」は形成されていると思うんですね。これがプロの料理人の方々なんかだと、仕事としてこの「味覚に対する感覚」を研ぎ澄ませて、日々これを追求していく訳でしょうから、一般の方々を「食」で喜ばせる術を知っているのですよ。


しかし、ワタクシが生まれた1960年代中盤以降などから「化学調味料」なるものが確立されてきますと、ワタクシの世代以降は完全にこれに毒されていったわけですよ。例えば「チクロ」なんて甘味料がありまして、「人工砂糖」とか「夢の甘味料」なんて言われ、お菓子やジュース色々なものにガンガン入ってましたけど、後にこれは発がん性が非常に高い事が判り使用されなくなった訳で、毒とは知らず大人から子供まで体内に入れていたのですね。しかし、当時はまだお祖父ちゃんぐらいの世代の方達は、「こんなクドい味のものを食べたら頭がバカになる!」とか言って、孫には食べさせない方もいました。実はワタクシの父方の祖母はまさにこの手の人間でありました。おばあちゃん、怖かったなー(笑)。砂糖を使う食べ物は、確実に御馳走であり贅沢品だったのでしょうね。おかげで、おばあちゃんからは小豆の素材をかんじる「おはぎ」やヨモギの香りが効いた「草餅」など、素材の美味しさを随分教わった気がします。コンビニとかのはやはり「クドい」んですね。


あと、ワタクシの父が「完全魚食主義者」と「食い道楽」でしたので、特に魚の味に対しては親父に感謝しなければなりません。生活に困窮し、ふすまの奥で泣いているようなオフクロを尻目に、昼間からワタクシを寿司屋につれてゆき刺身で一杯やる男でした。(笑)全く物流が確立されていなかった1960年代後半、5歳のワタクシが食べていたマグロの赤身は、ひょっとしたら大間のマグロだったかも知れません。そして、小学4年生になる頃にはレモン汁をかけ、醤油を垂らした「生アワビの肝の刺身」を「美味い」と食っていたクソガキの頃の自分を、ワタクシは憎みます!(笑)。


最近は素材の美味しさを楽しみたいとおもいますので、
「外食=値段が張る」を覚悟して行きたいと考えております。当然そこには「お金」を伴うわけですから、しっかりとしたモノはほぼ食べに行けないワケですから、(笑)そういう時には自分でなーんとなく作るわけですよ。「なーんちゃって」と「妥協」産物なんですが、それでも素材を活かして活かしてと考える時間は楽しいんですね。特に曲作ってて煮詰まる時とかは、気分転換にはいいですよ。


あ、ラーメンはですね。
お店で食べるのが一番ですね。
アレはね。
じゃないとダメな気がします。


2016年3月11日金曜日

★持続することについての考察★

お疲れ様です。
我々神楽亭、
急遽ライブが決まりました。ワタクシが住んでいる八王子という街にSKY DOGというお店があります。SKY DOGと言えば、言わずと知れたあのデュアン・オールマンのニックネームなわけなんですけど、ここのお店は地下にあるんですよ。その地下への階段をぐるりと回ると、なーんかデュアン先生がソファーにもたれてレスポールをスライドしていそうな…、そんな空間が広がります。 本当はマスターの水取さんがお客さんのいない時、アコギを爪弾きながら「龍馬がゆく」を読んでいらっしゃるそうですが。(笑)


なにしろ実にアット・ホームな雰囲気のお店なので、みなさん是非お越し下さい。3月18日金曜日です。我々神楽亭20:00と21:00に2ステージ演奏致します。投げ銭ライブですが、本当に投げると痛い硬貨等ではなく、なんかこう、少しヒラヒラとしたですね…投げても痛くないものでお願いしたいなと…(笑)宜しくお願い致しますー。


このライブが終わりますと、なんかSKYDOGさんは移転をするらしいのですが、
お店を継続・持続するという事は、やはり並大抵のことではできないんだと思いますよ。
まず「お店を持ちたい」と考えても、何もなければ資金を作るところから始めなければなりませんから、取り敢えずはよそで働くなりバイトするわけですよね。働きながら自分の店に夢を膨らませる時間が唯一の楽しみなんでしょうね。



そして遂に開店資金がたまり、物件も決まって内装工事も出来上がり晴れて開店!
オープン当日は知人が集まり賑やかに終了した後は、自分の考えが間違っていなかったの
か?を想いつつ新規のお客様、というか新しい出会いをじっくりと待つ時間が始まるのでしょうね。そうして少しづつ自分のお店を理解してくれる人間も増え喜怒哀楽を繰り返し、自分のスタイルがその地域に根付いてやっと名店とか老舗なんて言われていくのでしょう。


また、ここまでくるのに何十年かの時間が流れるんですよね。
何でもそうだと思うんですけど、「プロになる」ということは宣言するのは簡単でも、それを持続させる事に物凄い労力がいるのだと、周りを見れば毎日そんなことばかりですよ。ワタクシの知り合いでも、お店を維持して行くために他の仕事をしている人が沢山います。でも必ず思うことは、一見「やりたくない仕事」をしているようでも、そこには失いたくないものへの熱情みたいな事を感じますし、皆さんそれを楽しんでいるように見える。「そんなものは初めから織り込み済みだ。」的な感覚をおぼえます。そうして人間としても、一流になってゆくんだなと感じます。


頭が上がりませんよ。



2016年3月4日金曜日

★ツアー開始なんかの考察★

こんにちは。
今年も遂に我々神楽亭のツアーが始まりました。
今年は昨年末まで神楽亭のビートを刻んできた松田雄が辞めまして、ワタクシと中村研司の二人となりその次の新たなる神楽亭のために“NEXT”というお題目で回る事にしましたが、これは松田雄の為の “NEXT”でもあって欲しいという願いも込めました。松田雄には会社員という日本の根幹を支える組織の一員として、信念と変わらぬ情熱を持って取り組んでもらいたいです。


今ですね、

会社員(俗にはサラリーマンともいわれいますけど)は日本社会の根幹を支えていると言いました。単純に言っちゃえばですが資本主義経済の現在の日本でですよ、彼ら或いは彼女達が全員、いま在籍している企業にその理念を追いかけられず、夢もなくなり、幾ばくかの退職金を手にして退職し税金も年金も払わずにですよ、高円寺ガード脇の焼き鳥屋で昼から飲んだくれ始めたとしましょう…。そうなれば解りきったことですが、


日本は終わりますよ。(笑)



ね。

それでは、一般的には自らをアーティストなどと自称し、自らの理念や夢を普遍的に昼間の酒場で一方的に主張し他人に迷惑をかけ、野垂れ死にする確率が非常に高い「芸術家」などと呼ばれている(ホントは自分だけ思っているであろう。)方々は果たして、社会の根幹の一部を担っておりますかね?(笑)


少なくとも音楽に限って言わせていただけるのであれば、

ワタクシ的に見る限りでは、大分怪しくなってきたのでは?と、感じます。日本に於いてかもしれないんですけれど、ポピュラー・ミュージックにおいては、先ず「ツケ」を先延ばしに延ばしてきたその理念と夢が瓦解しはじめているような気がするんですけどね。インターネットで世界が繋がり、フリーに音楽を配信したりダウンロード出来たりするような時代になってきました。そうすると、先ず今まで独占的に利益の分配を取り仕切っていた著作権管理団体とか、大手レコード会社を初めとする音楽出版企業の存在が意味をなさなくなってきてます。


ま、はっきり申し上げさせていただければ、

これら法人・企業の方々は「自業自得」なんですよね。音楽を作り出す側の意見を聞かず、流行を生み出しては壊すをくり返し、印税のパーセンテージも一方的に決めちゃえばですよ、ミュージシャン側からしてみれば自分で管理した方が良いと考えるのは必然ですからね。インターネットの出現で決定的になっちゃいました。バイトとかしなくても自分達だけで音楽で食べれるようになった人、増えたんじゃないですかね?(贅沢しなければですが。)


そうなるとですよ。

これからのミュージシャンとはどうなっていきますかね?
これだけは確実に言えるような気がしますが、真面目じゃなきゃやはりダメな気がします。自分の力で自分の音楽の理念とか夢に真剣に取り組んで、作品とライブに対しては、
自分を徹底的に追い込んで管理する辺りではないですかね。それを成し遂げるためには、他人に任せたりせず、自分で責任を取るってことですかね。


そういえば最近、

昔のジャズマンの方達の話を伺う機会が多いんですけど、
取っ払いでギャラ貰ってた頃の先輩方は皆、自分で管理してしっかり次の為の練習をしてたらしいです。

そう、NEXTの為の。
ワタクシも、そこを目指したいです。