暑くなってまいりました。
オリンピックも近くなりまして、ワタクシの後輩も出場しますので、がぜん期待も膨らむわけなんですけど、後援会へのカンパを捻出する事が貧乏バンドマンにはなかなかできず、とあるお店でバイトをしています。労働の後のビールも美味い季節となりましたー。
そんなある日、高円寺の南口のロータリーでウワサの三宅洋平クンが「選挙フェス」なるイベントをやっていたそうで、バイトで観れなかったんですけど、You Tubeで拝見いたしました。
彼曰く「実は右派も左派も余り言っている事は変わらない、話し合いが足りないんだ。」と。
まあ、確かになるほどと思う部分もありますよ。
例えば彼は発電所からの送電に頼らないシステムで「選挙フェス」の電力を使っていたり、劣悪な環境で労働している東南アジアの労働者を尻目に、大量生産・価格破壊で暴利を貪る某アパレルメーカーのような製品は着ずに、天然素材の服を着ているそうですが、両方とも非常にコストがかかるので普通より高くついてしまうが、そういった環境に配慮した気持ちに切り替える態度が必要だ。的な発言をしていました。
しかし、個人的に自然エネルギーの発電システムを構築したり、限られた賃金の中からその一部でも天然素材で手縫いの「自然にやさしい」ジャケットなどを買える余裕はないのも事実ですし、例えは多少違いますが今問われている「政治とカネ」の問題からすると、自然エネルギー発電システムで選挙演説するよりも、既存の電力で選挙演説する方が現状コスト的に安くなるのであれば、「国民にやさしい」つまりは税金使われ方も安くすむのでは?ともいえないでしょうか。後輩へのカンパを捻出する為の、皿洗いとかしながらふと考えてもみました。
要するに「話し合い」なんでしょう。
今はコストがかかるが、将来的にはスタンダードになるという説得とそれを理解していく努力をするということが、彼が言いたい事なんだとは思いました。総天然素材でコストが高くついた、例えば公務員とかの職員服が議会で問題になっても、「書道のためのチャイナ服」じゃないんだと、ちゃんと理にかなった説明とそれに対する理解が必要なんですよね。原発が全廃炉になった途端に自然エネルギーシステムを止める彼でないことを、切に願います。
そうそう、舛添問題で次の候補が色々挙がった時に、
「別に都民のことを真剣に考えてくれて、しっかり政策に取り組んでくれるんだったら蓮舫チャンでもいいんじゃないの?」と保守寄りのSNSに書き込みましたところ、「オマエの言う事などは聞かない、シカトします。」とか「中共の回し者」とか、沢山のご批判をうけました。(笑)ワタクシ的には自公の都議連の方々に反省と戒めをうながしたつもりだったんですけどねー。(笑)
ここにも「話し合い」が必要なんでしょうね。
2016年6月27日月曜日
2016年6月2日木曜日
★トンネルと白鳥と弁当についての考察★
こんにちは。
何か朝のニュースで、スイスの山間部を抜けるトンネルができ、その長さが世界一となったらしくついに我が「青函トンネル」は2位に甘んずる事となり、少し寂しい気持ちになりました。
なんでも、このスイスのトンネルの総工費は1兆円との事で、国家事業の総工費にしては思わず「安っ!」と感じまして、日本の青函トンネルなら色々利権が絡んで、そんな金額ではおさまらないだろうなと調べましたところ1987年のレートで9000億円らしく、そりゃアルプスとかをくり抜いてトンネルを貫通させたのは大変だったんでしょうけど、こちとらなにしろ海底トンネルですからね、(笑)安く上げたんだなぁと感じました。ま、もっとも9000億円ってお金に対する感覚は全くありませんが。(笑)
その青函トンネルの事を色々調べていました所。
昔、青森から大阪を往復していた「白鳥」という特急列車の事が載っておりまして、「懐かしいなぁー。」と思わず声が出てしまいました。この列車には思い出があるのです。
ワタクシの兄が13歳の時(昭和50年)重い腎炎を発症しまして、その頃ワタクシの故郷には、兄の病気に対して人員的にもインフラ的にも対処できる病院がなく、隣の新潟県の病院へ移されまして、月に一度母が兄の世話をしに新潟に行くことになりました。日曜日には時々ワタクシも連れて行ってもらい、その時乗ったのが「白鳥」号だったんです。
その当時、ウチは裕福だったわけではありませんでしたが、オヤジはワタクシが母について行く時は座席指定券を無理して買ってくれました。鶴岡から新潟までの約3時間、時々楽しみがあったのです。
大抵は、お昼頃に母の作った弁当を食べていましたが、たまに何らかの事情で弁当がない時、当時の「白鳥」号には食堂車が付いていて、母はそこへ連れていってくれました。食堂車は、両側にテーブルが3つずつも並んでいたでしょうか、4人掛けでその一つに座ります。進行方向右側の日本海が眺められる席は人気で、「予約」の札がテーブルの上に乗っていましたが、たまに空いているとそこに座ることができました。
その食堂車で、
ワタクシは生まれて初めて「ピザ」というもの食べました。値段も覚えています、400円でした。(笑)ラーメンを出前で取ると200円前後の頃です、そのペラペラの生地にサラミとタマネギとピーマンとスライスチーズののっかった、直径15センチ程の円いモノを、リボン・オレンジと共に食したあの味のなんと美味かったことか!。(笑)なんて贅沢な旅なんだろう、特急列車と食堂車。「白鳥」号にはそんな思い出があるんですね、そんな…。
でもね、
今食べたいのはむしろ、オフクロが作ってくれた弁当の方なんですね、やはり。
今みたいに密閉式の容器なんてなくて、オヤジハンカチみたいなのに包まれたのは、少し煮汁みたいなのでシミてたりして、アルミホイルにくるまれたバクダンおにぎりの中身は筋子で、ちょっとみがきニシンの味が移っちゃった甘い卵焼き。
不安げな表情で兄貴の事を考えていたのであろう母の横顔を眺めながら、
食べたあの弁当が今、無性に食べたいのであります。
2016年5月8日日曜日
ブルース的に見る「裏方」さん達についての考察。
こんにちは。
遅くなりましたが我々神楽亭、4月28日(木曜日)久我山Bobby's barさんにてワンマンライブがありました。そぼ降る小雨模様の中にもかかわらず、満卓のお客様の御来店ありがとうございました。ゲストにアルトサックスの古家野昌樹を迎えまして、いつもと違う最高の2ステージを行えたと思います。オーナーのBobbyさん始めとするスタッフの皆さん、ありがとうございましたー。
そして、昨日は高円寺mission'sにおきましての熊本・大分九州地震復興支援チャリティーライブ「DaGo support」に参加させていただきました。久し振りのしっかりとしたライブハウスでのライブ、楽しかったですよ。共演のバンドの皆様、Da Go support実行委員の皆様、高円寺mission's熟練の運営・音響・照明のスタッフの皆様、ありがとうございました、気持ちイイー一夜でありました。
さて、音楽を志して約四半世紀。
もうどの位ステージに上がったのでしょうか?
たまに一人でどこかの店で飲んだりしておりますと、ま、一人なワケですからそこのお店の人達の働いている瞬間を垣間見たりするわけです。それを生業にして「サービス業」の方達は生活しているのでしょうけど、ワタクシも実家が商売人として「商人のセガレ」として、やはりサービス業としての理不尽さに喜怒哀楽を噛み締める時があるんですね。
よく、「金払ってるんだからサービスして当たり前。」的なことで、酔客とお店側でトラブルが発生します。何もこれは飲食に限らず一般のサービス業でも起こります。しかし、サービスしている側の方々もやはり人間ですから、「お金の問題じゃない」的な感情も発生しますよね。
ワタクシの場合は、リハーサル時に徹底的にこれからやるライブのために、不安なものを取り除きたいとお店側の方達とディスカッションするようにしています。ま、ワタクシが神経質で不安症な性格ってのが一番いただけない所なんですけど。(笑)歳を重ねて行くにつれて、臆病になっていくのですよ。「ライブは生き物だから…」的な感覚にはなれず、どーしても可能性があるかぎり「いつもどおりの神楽亭を観てもらいたい。」と、あがくんですね。
でも、いわゆる「裏方」の方々は慈悲の心でいつもワタクシの気持ちを汲んでくれるのですね。例えば、ボトム(低音)の音が足りないと悩む→PA(音響)の方は狼狽えているワタクシの顔を見て、落としどころを一生懸命探してくれる。とか、当日初対面なのに登場時の曲に対して色々めんどくさい事を頼む。→照明・構成のスタッフがイメージを膨らませてくれる。なんて事の連続なんですよ。ですから研ちゃんにもよく言ってるんですが、スタッフいわゆる「裏方」の方には「ありがとう。」と言える時間を作ろうといつも言っております。「お金だけではない」彼らの気持ちに対してなのです。
でもね、
多分「裏方」の皆さん、仕事終わって一杯飲んでる時に言ってるんでしょうね。
「今日の神楽亭っての、面倒くさかったな。」って。(笑)
ワタクシも実家のオヤジの商売手伝ってた時、よく言ってました。でもそれ、同時にやりたくない仕事をしている自分への、なんといいますか恥のような、後ろめたさみたいな気持ちでした。「ヤなことやってる対価」では続かないんですよね、やはり。
本当に感謝しています。
ありがとう。
もうどの位ステージに上がったのでしょうか?
たまに一人でどこかの店で飲んだりしておりますと、ま、一人なワケですからそこのお店の人達の働いている瞬間を垣間見たりするわけです。それを生業にして「サービス業」の方達は生活しているのでしょうけど、ワタクシも実家が商売人として「商人のセガレ」として、やはりサービス業としての理不尽さに喜怒哀楽を噛み締める時があるんですね。
よく、「金払ってるんだからサービスして当たり前。」的なことで、酔客とお店側でトラブルが発生します。何もこれは飲食に限らず一般のサービス業でも起こります。しかし、サービスしている側の方々もやはり人間ですから、「お金の問題じゃない」的な感情も発生しますよね。
ワタクシの場合は、リハーサル時に徹底的にこれからやるライブのために、不安なものを取り除きたいとお店側の方達とディスカッションするようにしています。ま、ワタクシが神経質で不安症な性格ってのが一番いただけない所なんですけど。(笑)歳を重ねて行くにつれて、臆病になっていくのですよ。「ライブは生き物だから…」的な感覚にはなれず、どーしても可能性があるかぎり「いつもどおりの神楽亭を観てもらいたい。」と、あがくんですね。
でも、いわゆる「裏方」の方々は慈悲の心でいつもワタクシの気持ちを汲んでくれるのですね。例えば、ボトム(低音)の音が足りないと悩む→PA(音響)の方は狼狽えているワタクシの顔を見て、落としどころを一生懸命探してくれる。とか、当日初対面なのに登場時の曲に対して色々めんどくさい事を頼む。→照明・構成のスタッフがイメージを膨らませてくれる。なんて事の連続なんですよ。ですから研ちゃんにもよく言ってるんですが、スタッフいわゆる「裏方」の方には「ありがとう。」と言える時間を作ろうといつも言っております。「お金だけではない」彼らの気持ちに対してなのです。
でもね、
多分「裏方」の皆さん、仕事終わって一杯飲んでる時に言ってるんでしょうね。
「今日の神楽亭っての、面倒くさかったな。」って。(笑)
ワタクシも実家のオヤジの商売手伝ってた時、よく言ってました。でもそれ、同時にやりたくない仕事をしている自分への、なんといいますか恥のような、後ろめたさみたいな気持ちでした。「ヤなことやってる対価」では続かないんですよね、やはり。
本当に感謝しています。
ありがとう。
2016年5月1日日曜日
「慈善」についての考察。
九州で大きな地震がありました。
熊本を始めとする被災された皆様には心よりお悔やみと御見舞いを申し上げます。
我々神楽亭も、ボランティア活動に参加するべく調整を取るべく動いております。今暫くお待ちください。
さて、最近ある慈善家の活動に参加させて頂いており、その活動の一端を垣間見る機会を得ましたが、その感想を言わせていただきますと「全ては解らない。ただ足を引っ張らずに自分の仕事を粛々とこなすのみ。」に行き着くかと感じました。
その昔、イギリス王室から世界で最初にエベレストに登るのは英国人でなければならないと派遣されたジョージ・E・マロリーは、記者会見で「何故山に登るのか?」と、問われて「なぜならそこに山があるから。」と答えたのは有名な話なんですけど、
そもそも「慈善」という事への「初期衝動」に理由はないのですね。
そこに「地位」とか「名誉」とか「利害」を考える隙間なんてものは微塵もないと言う事を、改めて噛みしめたわけです。逆をいえば、「利潤を求める」ことであってもその「初期衝動」が純粋であれば、そこには光のようなモノが必ず差し込むとも感じました。
例えば、矢沢永吉さんの有名な話で、
キャロルでデビューして間もなくほぼ無名な時期、ある雑誌記者に「何故芸能界に入ったの?」と聞かれたときに、「お金が儲かるってききましたので。」と答えたのは、純粋な気持ちだったんだと思うのです、やはり。女性にモテたいところからギターを始めたワタクシなどは、「初期衝動」でやはり不純だったんだと悟るわけです。(笑)
それで、改心しなくてはとお手伝いするんですね。
お寺に出家して修行をするように、「こんなオレが改心できるのか?でも無心でやらなければ。」とです。
人生50数年生きてきて、
どんどん「慈善」と「純粋」と「無心」を忘れてゆく自分を恥じます。
本当に恥ております。
熊本を始めとする被災された皆様には心よりお悔やみと御見舞いを申し上げます。
我々神楽亭も、ボランティア活動に参加するべく調整を取るべく動いております。今暫くお待ちください。
さて、最近ある慈善家の活動に参加させて頂いており、その活動の一端を垣間見る機会を得ましたが、その感想を言わせていただきますと「全ては解らない。ただ足を引っ張らずに自分の仕事を粛々とこなすのみ。」に行き着くかと感じました。
その昔、イギリス王室から世界で最初にエベレストに登るのは英国人でなければならないと派遣されたジョージ・E・マロリーは、記者会見で「何故山に登るのか?」と、問われて「なぜならそこに山があるから。」と答えたのは有名な話なんですけど、
そもそも「慈善」という事への「初期衝動」に理由はないのですね。
そこに「地位」とか「名誉」とか「利害」を考える隙間なんてものは微塵もないと言う事を、改めて噛みしめたわけです。逆をいえば、「利潤を求める」ことであってもその「初期衝動」が純粋であれば、そこには光のようなモノが必ず差し込むとも感じました。
例えば、矢沢永吉さんの有名な話で、
キャロルでデビューして間もなくほぼ無名な時期、ある雑誌記者に「何故芸能界に入ったの?」と聞かれたときに、「お金が儲かるってききましたので。」と答えたのは、純粋な気持ちだったんだと思うのです、やはり。女性にモテたいところからギターを始めたワタクシなどは、「初期衝動」でやはり不純だったんだと悟るわけです。(笑)
それで、改心しなくてはとお手伝いするんですね。
お寺に出家して修行をするように、「こんなオレが改心できるのか?でも無心でやらなければ。」とです。
人生50数年生きてきて、
どんどん「慈善」と「純粋」と「無心」を忘れてゆく自分を恥じます。
本当に恥ております。
2016年4月10日日曜日
★スポーツ選手の実力世界についての考察★
こんにちは。
そろそろ東京での桜も終わりでしょうか。
今年は例年になく色々な場所でお花見しました。季節の変わり目をいつになく噛み締められました。そんな中、我々神楽亭4月15日に渋谷の喫茶smileさんで今月最初のライブです。
そろそろ二人でのアンサンブルにも慣れてきました。是非お越し下さい。
さてワタクシも今から30数年前は、アスリートの端くれでありまして競泳選手でありました。小学3年の終わりから、故郷山形県鶴岡市にある鶴岡スイムクラブに入り、高校3年の夏季国体で引退するおよそ9年間、毎週月曜日を除きガチで朝は5時30分から7時過ぎまで、夕方は6時頃から8時30分まで泳ぎました。合宿で一日最大30000m位泳いだでしょうか。ま、とにかく現在の怠惰で飲んだくれの自分を当時の少年のワタクシが見たら、軽蔑される事は間違いないと思います。(笑)
そんなワタクシが在籍したクラブから、苦節45年目にして初の五輪代表選手が誕生しました。
そろそろ東京での桜も終わりでしょうか。
今年は例年になく色々な場所でお花見しました。季節の変わり目をいつになく噛み締められました。そんな中、我々神楽亭4月15日に渋谷の喫茶smileさんで今月最初のライブです。
そろそろ二人でのアンサンブルにも慣れてきました。是非お越し下さい。
さてワタクシも今から30数年前は、アスリートの端くれでありまして競泳選手でありました。小学3年の終わりから、故郷山形県鶴岡市にある鶴岡スイムクラブに入り、高校3年の夏季国体で引退するおよそ9年間、毎週月曜日を除きガチで朝は5時30分から7時過ぎまで、夕方は6時頃から8時30分まで泳ぎました。合宿で一日最大30000m位泳いだでしょうか。ま、とにかく現在の怠惰で飲んだくれの自分を当時の少年のワタクシが見たら、軽蔑される事は間違いないと思います。(笑)
そんなワタクシが在籍したクラブから、苦節45年目にして初の五輪代表選手が誕生しました。
小関也朱篤(こせきやすひろ)選手24歳、現在はミキハウスに所属するプロのスイマーです。なんと彼はあの北島康介君と同じ平泳ぎの選手なんですけど、今回のリオ五輪の派遣選考会では100mも200mも北島君を破り優勝しましたー。しかも200mでは世界新記録に迫るペースでの優勝だったのですよ!。また、彼を高校時代まで教えた現キムラスイミング代表の木村憲氏は、ワタクシの同級生で共に鶴岡スイムクラブ時代の仲間でもあるのです。
小関選手のリオ代表がかかったこの派遣選考会。
最近はほぼ水に浸かることはなく、酒浸りなオジサンと化したOBのワタクシも、酒瓶をテーブルに置き19:00のNHKニュース辺りからまだかまだかと飲み始め、100で小関選手が優勝すれば完全に記憶がなくなるほど飲み、また200mでは世界新記録を出してしまいそうになれば、テレビに向かって叫び続け、しかも右手にはグラスをしっかと持ったままという…(笑)。そして代表が決まった瞬間には大声を出し、余韻に浸りまた飲む、さらに飲む最高のひとときでありましたー。
しかし、
しかしですよ。
どーしても納得いかない出来事がありました。
それは100m・200m平泳ぎで優勝したのは小関選手であったのにも関わらず、先にインタビューを受けたり時間を長く割かれるのは、北島康介君であったと言う事でした。特に200m決勝後、北島君は引退を表明していましたので、小関選手の表彰式を全てカットしたNHKには激怒しております。民放ならいざ知らずでね。
それは確かに五輪二連覇して、ここ約10年間日本の平泳ぎを牽引してきた彼は素晴らしい。また、民放であるならばスポンサー等の兼ね合いもあるでしょうから、有る程度な「北島優先」はしかたないでしょう。しかし、NHKならば先ず代表に選ばれて、北島君が泳いだことのない記録で泳いだ小関選手を讃え、それに敬意を表して表彰式までしっかり放送してから北島君でもよかったのではと切に感じましたし、また民放サイドにも日本コカコーラ完全スポンサードの下、翌日にでも一時間特番すれば?「サヨナラ北島康介」的な番組をと、本気で怒りを覚えました。
それでね。
小関選手には、マスコミのみなさんあまり余計な取材とか変なプレッシャーかけるのやめて欲しいのです。今日の夕方のニュースでも「きっと北島選手の気持ちは後輩が受け継いでくれます。」的なコメントが多かったんですけど、そんなのはあくまで建前で本当の意味で他の選手の気もちは「早く北島に引導を渡さないと、オリンピックじゃ勝てない。」なんですよ。オリンピックで最終的にメダルを取るのは本人です。ましてや、陸上とか水泳とかの個人競技であれば尚更です。一個人選手の協力者(親族・競技関係者)というものは、真に見返りを求めず献身的なんですよ。インタビューの時、そんな人達のことを想い選手は泣くのです。
商品を売る為のスポンサー
購読数や視聴率しか考えないマスコミ
そんなモノのために、彼らは泳ぎませんよ。
最終的には自分との闘いなんですよ。
2016年4月2日土曜日
★なんとなく「見せしめ」という言葉への考察★
今年も東京での桜が満開の頃になりました。
我々神楽亭、3月3本のライブを行いまして、ワタクシと中村研司二人になりましたが、少しづつ二人でのビート感を掴みまして、ひとライブ事に良くなっていることを実感しております。4月は、最近お馴染みとなっております渋谷喫茶smileさんと、多趣味の素敵なマスターのお店、久我山Bobby's Barさんでのワンマンライブであります。皆様是非お越し下さいませー。
さて、今度「アイヒマンショー」という映画が封切りされるそうですね。
これは1961年にイスラエルの諜報機関「モサド」により逮捕・連行された元ナチスの将校、アドルフ・アイヒマンの戦犯裁判をテレビで世界に公開した男達の真実の記録でありまして、実際公開された放送も賛否両論を巻き起こしたらしく、ワタクシも是非観たいと考えております。
アイヒマンさんは、いわゆる「ホロコースト」における各強制収容所にユダヤ人を輸送する為の部署の中核にいた人物だったそうで、ナチスドイツ降伏後は偽名を使い赤十字が発行した難民証明書を使い、ペロン政権下のアルゼンチン・ブエノスアイレスに逃亡・潜伏していたわけですが、「モサド」の執拗な追跡により拘束、イスラエルに護送され戦犯公開裁判後、死刑が確定し絞首刑となりました。
実はワタクシ、前にこのアイヒマン裁判の公開記録部分を編集したドキュメンタリー映画「スペシャリスト」というのを観たのですが、どーもこのアイヒマンという男の元ナチス将校という冷血なイメージとは違った、ごく普通の事務方然とした淡々と証言を重ねる姿に、強い人間性を感じましたし、逆にイスラエル側の検事の「逆上的」なまでの、「ユダヤ人」としての感情が表に出た尋問。またなにひとつ仕事をしているようには見えない弁護人など、非常に「みせしめ」的な感想を持ちました。
これは前にも同じ感想を抱いた「ニュールンベルグ裁判」や「東京裁判」と同じ、やはり戦勝国である連合国側が敗戦国の戦犯を裁くという「見せしめ」の図式が大きいのだと思うんですね。ただし、「人道に対する罪」の部分では、ホロコーストを行なったナチスと大日本帝国とでは、多少の違いもありまた、「東京裁判」で事後法で裁かれた日本の戦犯に対しては今も司法の世界で賛否が問われています。「アイヒマン裁判」もまた、国際裁判ではなくイスラエルがナチスドイツの一将校を一方的に裁いた意味においては、やはり「見せしめ」の意味が強いような気がするんですよ。
ハンナ・アーレントという哲学者は、
ユダヤ人でありながらも、この裁判を見てアルゼンチンの内政を無視し非合法でアイヒマンを拘束・連行したイスラエル政府を非難し、「人道に対する罪」であるならば、広島・長崎に原爆を落とした連合国側もまた裁かれなければならないと、東京裁判で弁護人となった米国人弁護士と同じ発言をして、シオニズムロビーから物凄い非難を受けました。
第一次中東戦争では、ナチスの残党がパレスチナ側についてイスラエルと戦いましたよね。勝手に国境線を作りイスラエルの独立を認めてしまった国連の責任は大きいんだと思いますよ。そしてこの問題を、「見せしめ」の方法で当時の世界の感情をまぎらわせて、現在世界で渦巻く「難民問題」になんの打開策を取ることのできない常任理事国。
フセインもビン・ラディンもカダフィでさえ、
「見せしめ」だったんですかね?
我々神楽亭、3月3本のライブを行いまして、ワタクシと中村研司二人になりましたが、少しづつ二人でのビート感を掴みまして、ひとライブ事に良くなっていることを実感しております。4月は、最近お馴染みとなっております渋谷喫茶smileさんと、多趣味の素敵なマスターのお店、久我山Bobby's Barさんでのワンマンライブであります。皆様是非お越し下さいませー。
さて、今度「アイヒマンショー」という映画が封切りされるそうですね。
これは1961年にイスラエルの諜報機関「モサド」により逮捕・連行された元ナチスの将校、アドルフ・アイヒマンの戦犯裁判をテレビで世界に公開した男達の真実の記録でありまして、実際公開された放送も賛否両論を巻き起こしたらしく、ワタクシも是非観たいと考えております。
アイヒマンさんは、いわゆる「ホロコースト」における各強制収容所にユダヤ人を輸送する為の部署の中核にいた人物だったそうで、ナチスドイツ降伏後は偽名を使い赤十字が発行した難民証明書を使い、ペロン政権下のアルゼンチン・ブエノスアイレスに逃亡・潜伏していたわけですが、「モサド」の執拗な追跡により拘束、イスラエルに護送され戦犯公開裁判後、死刑が確定し絞首刑となりました。
実はワタクシ、前にこのアイヒマン裁判の公開記録部分を編集したドキュメンタリー映画「スペシャリスト」というのを観たのですが、どーもこのアイヒマンという男の元ナチス将校という冷血なイメージとは違った、ごく普通の事務方然とした淡々と証言を重ねる姿に、強い人間性を感じましたし、逆にイスラエル側の検事の「逆上的」なまでの、「ユダヤ人」としての感情が表に出た尋問。またなにひとつ仕事をしているようには見えない弁護人など、非常に「みせしめ」的な感想を持ちました。
これは前にも同じ感想を抱いた「ニュールンベルグ裁判」や「東京裁判」と同じ、やはり戦勝国である連合国側が敗戦国の戦犯を裁くという「見せしめ」の図式が大きいのだと思うんですね。ただし、「人道に対する罪」の部分では、ホロコーストを行なったナチスと大日本帝国とでは、多少の違いもありまた、「東京裁判」で事後法で裁かれた日本の戦犯に対しては今も司法の世界で賛否が問われています。「アイヒマン裁判」もまた、国際裁判ではなくイスラエルがナチスドイツの一将校を一方的に裁いた意味においては、やはり「見せしめ」の意味が強いような気がするんですよ。
ハンナ・アーレントという哲学者は、
ユダヤ人でありながらも、この裁判を見てアルゼンチンの内政を無視し非合法でアイヒマンを拘束・連行したイスラエル政府を非難し、「人道に対する罪」であるならば、広島・長崎に原爆を落とした連合国側もまた裁かれなければならないと、東京裁判で弁護人となった米国人弁護士と同じ発言をして、シオニズムロビーから物凄い非難を受けました。
第一次中東戦争では、ナチスの残党がパレスチナ側についてイスラエルと戦いましたよね。勝手に国境線を作りイスラエルの独立を認めてしまった国連の責任は大きいんだと思いますよ。そしてこの問題を、「見せしめ」の方法で当時の世界の感情をまぎらわせて、現在世界で渦巻く「難民問題」になんの打開策を取ることのできない常任理事国。
フセインもビン・ラディンもカダフィでさえ、
「見せしめ」だったんですかね?
2016年3月21日月曜日
★ちょっと卑しいんですが、「食う」ことの考察★
さる18日、我々神楽亭八王子SKY DOGさんでの投げ銭ライブ無事終了しました。
今回中村研司が源泉徴収の還付金で購入した新兵器、簡易PAアンプ「cube streetEX50」を使用したのですが、リハーサル時には初めての機材をなかなか使いこなせず新曲を煮詰めることもできなかったりと、まぁ二人になったところでの慣れない部分がまた出ましたが、こういうのは今年一年ライブを重ねていく所で少しずつ修正されていくわけですから、あんまり気にしても仕方ないのですよ。
本番は前回のライブから二人でリズムの取り方に集中しつつ、多少の開き直りと共に全開させていただきましたー。(笑)二人でも何も変わらないことを確認できたと思います。
遠くは千葉県の市川市辺りから東京を横断する形で八王子に来られた方をはじめ、また沢山のお客様にご来店いただきました。メンバー・スタッフ一同心より御礼申し上げます。
更に向かいます。
さて、今回は「食べ物」について書く訳ですけど、
恥ずかしくも50年生きてきた所で、先ず子供の頃の「味覚に対する感覚」で一般の方ひとりひとりの「食文化」は形成されていると思うんですね。これがプロの料理人の方々なんかだと、仕事としてこの「味覚に対する感覚」を研ぎ澄ませて、日々これを追求していく訳でしょうから、一般の方々を「食」で喜ばせる術を知っているのですよ。
しかし、ワタクシが生まれた1960年代中盤以降などから「化学調味料」なるものが確立されてきますと、ワタクシの世代以降は完全にこれに毒されていったわけですよ。例えば「チクロ」なんて甘味料がありまして、「人工砂糖」とか「夢の甘味料」なんて言われ、お菓子やジュース色々なものにガンガン入ってましたけど、後にこれは発がん性が非常に高い事が判り使用されなくなった訳で、毒とは知らず大人から子供まで体内に入れていたのですね。しかし、当時はまだお祖父ちゃんぐらいの世代の方達は、「こんなクドい味のものを食べたら頭がバカになる!」とか言って、孫には食べさせない方もいました。実はワタクシの父方の祖母はまさにこの手の人間でありました。おばあちゃん、怖かったなー(笑)。砂糖を使う食べ物は、確実に御馳走であり贅沢品だったのでしょうね。おかげで、おばあちゃんからは小豆の素材をかんじる「おはぎ」やヨモギの香りが効いた「草餅」など、素材の美味しさを随分教わった気がします。コンビニとかのはやはり「クドい」んですね。
あと、ワタクシの父が「完全魚食主義者」と「食い道楽」でしたので、特に魚の味に対しては親父に感謝しなければなりません。生活に困窮し、ふすまの奥で泣いているようなオフクロを尻目に、昼間からワタクシを寿司屋につれてゆき刺身で一杯やる男でした。(笑)全く物流が確立されていなかった1960年代後半、5歳のワタクシが食べていたマグロの赤身は、ひょっとしたら大間のマグロだったかも知れません。そして、小学4年生になる頃にはレモン汁をかけ、醤油を垂らした「生アワビの肝の刺身」を「美味い」と食っていたクソガキの頃の自分を、ワタクシは憎みます!(笑)。
最近は素材の美味しさを楽しみたいとおもいますので、
「外食=値段が張る」を覚悟して行きたいと考えております。当然そこには「お金」を伴うわけですから、しっかりとしたモノはほぼ食べに行けないワケですから、(笑)そういう時には自分でなーんとなく作るわけですよ。「なーんちゃって」と「妥協」産物なんですが、それでも素材を活かして活かしてと考える時間は楽しいんですね。特に曲作ってて煮詰まる時とかは、気分転換にはいいですよ。
あ、ラーメンはですね。
お店で食べるのが一番ですね。
アレはね。
じゃないとダメな気がします。
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