高校編その1。
こんにちは。
さて、9月7日にエルビス・コステロの東京公演に行ってきました。今回は彼一人だけの「弾き語り公演」で、ギターとピアノを弾いて往年の名曲の数々を歌ってました。確か彼がデビューしたのが1977年辺りだと思うのですが、日本では始めパンクとかニューウェーヴの括りのような扱いだった気がしますけど、どんどん彼の音楽は変遷してゆきまして、最近はクラッシックとかジャズにみられる複雑なコード進行を駆使して素晴らしい曲を産み続けています。今回ワタクシは彼がピアノを弾いて歌う曲にかなり感銘を受けましたが、アレ奥様のダイアナ・クラールの影響も受けているのでしょうか。
あ、音楽拝聴遍歴でしたね。笑
1980年に山形県立鶴岡工業高等学校色染化学科というところに入学します。
当時は高校入試が3教科制(国語・数学・英語)で、ワタクシの母校は当時、3
教科で180点取れば合格ラインのそこそこ緩い学校でしたけれど、ワタクシの
入った色染化学科というところは、完全に定員割れしておりまして、単願で志望すれば、140点位で合格できました。
しかし、それでも中学の最終三者面談で担任より「単願でも絶対無理宣言」をされたワタクシでしたので(笑)、そこは猛勉強をして受験したわけです。さて、ここで疑問が生まれますね。「何故そこまでその学校にはいりたかったのか?」ですがそれは、
①: ワタクシは小学3年からスイミング・スクールに通い、中3の背泳ぎで東北の選手権を獲得していて、当時鶴工(短縮しました)はキラ星輝く諸先輩の下、東北で一番水泳部が強かったので、そこでなければイヤだったから。
②:ワタクシの実家が呉服店でしたので、繊維工学と染色工学を学べよとの母の強い希望と、私立のヤバイ高校だけは絶対ダメというオヤジの見栄のため。
だった訳です。(笑)また、当時既に公立高校でも学校推薦によるスポーツ推薦制度は確かに存在しておりましたが、いくら東北で一番を獲ったスイマーでも、
えーっとその…内申書というものがですね…。
中学校側が、ワタクシを推薦するに足りる成績をワタクシが有していなかった…、つまりバカだったのですね。(笑)で、これはもう受験するしかないと。
で、受験しました。
それで本当にギリギリで合格できたのです。ほんとギリギリでした。(笑)そして、晴れてオヤジとの約束のヤマハのストラトキャスターと30Wのアンプも手に入れる事が出来ました。それで少しずつ曲のコピーとオリジナルなんかも作り始めました。今も当時のオリジナルのテープとか録音したのあると思いますが、それはちよっと…(笑)。
さて高校に入学しましたが、新たなる試練が待っていました。「単位取得」です。
始めのうちは落第したら大変だと必死に勉強しました。しかし、ワタクシの母校は「工業高校」で進学校ではありませんでしたので、緩い補習と緩い追試でこれは切り抜けていく事が出来ましたが、もうひとつ「工業高校」ならではの「縦の社会」、いわゆる上下関係が必死でした。元々「誠実勤労・質実剛健」が校是の硬派な我が母校、プラス当時はいわゆる「ヤンキー全盛期」でしたので、これにはつくづく閉口しました。1年生のうちはとにかく「目立たぬこと」だった気がします。
そんなワタクシでしたから、矢沢永吉さんなどは当時「ヤンキーの権化」のような存在でしたので、隠れるように聴き1980年にも鶴岡公演がありましたが、これも隠れるように観に行きました。それからキャロルにも手を出しのめり込み、キャロルの著書「暴力青春」で、いかに彼らがビートルズに影響を受けたかを知って、それまで兄貴の部屋からたまに聴こえてくるビートルズを、本格的に聴いてみようではないかと、再び兄貴の部屋に潜り込んだわけです。
兄貴のレコード・ライブラリーと、ワタクシのライブラリーはその当時既に完全に隔離され、その趣向は全く異なっておりましたが、兄貴のビートルズライブラリーは事欠かず、LP盤全てと国内盤シングル数十枚、それに兄貴が崇拝していたチューリップの財津和夫さんのFMでの「ビートルズ特集」のカセット数本。これでほぼビートルズの全てが聴けたわけです。この年、兄貴が「日本のロックンロールの新しい世界はこれだ!」とワタクシに渡した1枚のLP、それが佐野元春さんの1st「Back to the street」だったりして、その存在すら誰も知らず東京でもまだまだこれからの
佐野さんを、FMで一曲聴いただけでLPを買いに行った兄貴も、やはり音楽ファンだったと思います。
さて、そんな兄貴の部屋からくすねてきたビートルズの1枚。
それはオデオン編集盤のEPLP(1枚のシングルレコードに4曲入っていたもの)で、これに「I wanna hold your hand」「She loves you」「Please please me」「Twist and shout」(だったと思います。)がはいっておりました。
真剣に聴いてみることにした冬の寒い月曜日の夕方。
今でもはっきり憶えています。当時ワタクシの部屋には、東北地方の冬にも拘らずオヤジが自室にストーブを入れることを許さず、机の足元に小さい電熱器しかありませんでした。そこで聴いた「I wanna hold you hand」のイントロ。
「ガッガ・ガーン!!!」
背骨に電気が走りました。
本当に背骨に電気が走りました。ボリュームも両親が帰って来る前でしたので、相当上げてはいましたがあのイントロのギターの音、そしてキャロルとは全く別次元のサウンドとコーラスワーク。今迄真剣に聴いてなくてすいませんでしたー。的ロック感。既に解散から10年が経ってましたので、ワタクシ的にはロックという見方より、スタンダードなポップスとしか見ていなかったビートルズ。キャロルの方がポップだとその時思いました。
それからは日々、兄貴の部屋で密かにカセットにビートルズをダビングする作業が続きます。(笑)それに加えてストーンズ、キンクス、フーなどのミッド・ブリティッシュものもダビングして行くわけですが、何故かそれらは初期盤しかなく、またヤードバーズからのハードロックに移行して行く物は、残念ながら兄貴のライブラリーにはありませんでした。
そして何故かワタクシ的好みなんでしょうけど、芸術性を求めて行く「ラバーソール」以降のビートルズや、コーラスが余りちゃんとしてないと感じたストーンズは、まだ少年のワタクシには手に余る感もありました。(笑)多分矢沢永吉→キャロルとレイドバックした影響もまだまだ強かったのだと思います。
ま、子供だったんですよ。
何も知りませんでしたから。笑