2016年9月27日火曜日

★ワタクシ的0歳~51歳までの音楽拝聴遍歴についての考察③★



高校編その1。

こんにちは。
さて、9月7日にエルビス・コステロの東京公演に行ってきました。今回は彼一人だけの「弾き語り公演」で、ギターとピアノを弾いて往年の名曲の数々を歌ってました。確か彼がデビューしたのが1977年辺りだと思うのですが、日本では始めパンクとかニューウェーヴの括りのような扱いだった気がしますけど、どんどん彼の音楽は変遷してゆきまして、最近はクラッシックとかジャズにみられる複雑なコード進行を駆使して素晴らしい曲を産み続けています。今回ワタクシは彼がピアノを弾いて歌う曲にかなり感銘を受けましたが、アレ奥様のダイアナ・クラールの影響も受けているのでしょうか。


あ、音楽拝聴遍歴でしたね。笑


1980年に山形県立鶴岡工業高等学校色染化学科というところに入学します。
当時は高校入試が3教科制(国語・数学・英語)で、ワタクシの母校は当時、3
教科で180点取れば合格ラインのそこそこ緩い学校でしたけれど、ワタクシの
入った色染化学科というところは、完全に定員割れしておりまして、単願で志望すれば、140点位で合格できました。


しかし、それでも中学の最終三者面談で担任より「単願でも絶対無理宣言」をされたワタクシでしたので(笑)、そこは猛勉強をして受験したわけです。さて、ここで疑問が生まれますね。「何故そこまでその学校にはいりたかったのか?」ですがそれは、


①: ワタクシは小学3年からスイミング・スクールに通い、中3の背泳ぎで東北の選手権を獲得していて、当時鶴工(短縮しました)はキラ星輝く諸先輩の下、東北で一番水泳部が強かったので、そこでなければイヤだったから。


②:ワタクシの実家が呉服店でしたので、繊維工学と染色工学を学べよとの母の強い希望と、私立のヤバイ高校だけは絶対ダメというオヤジの見栄のため。


だった訳です。(笑)また、当時既に公立高校でも学校推薦によるスポーツ推薦制度は確かに存在しておりましたが、いくら東北で一番を獲ったスイマーでも、
えーっとその…内申書というものがですね…。
中学校側が、ワタクシを推薦するに足りる成績をワタクシが有していなかった…、つまりバカだったのですね。(笑)で、これはもう受験するしかないと。


で、受験しました。
それで本当にギリギリで合格できたのです。ほんとギリギリでした。(笑)そして、晴れてオヤジとの約束のヤマハのストラトキャスターと30Wのアンプも手に入れる事が出来ました。それで少しずつ曲のコピーとオリジナルなんかも作り始めました。今も当時のオリジナルのテープとか録音したのあると思いますが、それはちよっと…(笑)。


さて高校に入学しましたが、新たなる試練が待っていました。「単位取得」です。
始めのうちは落第したら大変だと必死に勉強しました。しかし、ワタクシの母校は「工業高校」で進学校ではありませんでしたので、緩い補習と緩い追試でこれは切り抜けていく事が出来ましたが、もうひとつ「工業高校」ならではの「縦の社会」、いわゆる上下関係が必死でした。元々「誠実勤労・質実剛健」が校是の硬派な我が母校、プラス当時はいわゆる「ヤンキー全盛期」でしたので、これにはつくづく閉口しました。1年生のうちはとにかく「目立たぬこと」だった気がします。


そんなワタクシでしたから、矢沢永吉さんなどは当時「ヤンキーの権化」のような存在でしたので、隠れるように聴き1980年にも鶴岡公演がありましたが、これも隠れるように観に行きました。それからキャロルにも手を出しのめり込み、キャロルの著書「暴力青春」で、いかに彼らがビートルズに影響を受けたかを知って、それまで兄貴の部屋からたまに聴こえてくるビートルズを、本格的に聴いてみようではないかと、再び兄貴の部屋に潜り込んだわけです。


兄貴のレコード・ライブラリーと、ワタクシのライブラリーはその当時既に完全に隔離され、その趣向は全く異なっておりましたが、兄貴のビートルズライブラリーは事欠かず、LP盤全てと国内盤シングル数十枚、それに兄貴が崇拝していたチューリップの財津和夫さんのFMでの「ビートルズ特集」のカセット数本。これでほぼビートルズの全てが聴けたわけです。この年、兄貴が「日本のロックンロールの新しい世界はこれだ!」とワタクシに渡した1枚のLP、それが佐野元春さんの1st「Back to the street」だったりして、その存在すら誰も知らず東京でもまだまだこれからの
佐野さんを、FMで一曲聴いただけでLPを買いに行った兄貴も、やはり音楽ファンだったと思います。


さて、そんな兄貴の部屋からくすねてきたビートルズの1枚。
それはオデオン編集盤のEPLP(1枚のシングルレコードに4曲入っていたもの)で、これに「I wanna hold your hand」「She loves you」「Please please me」「Twist and shout」(だったと思います。)がはいっておりました。


真剣に聴いてみることにした冬の寒い月曜日の夕方。
今でもはっきり憶えています。当時ワタクシの部屋には、東北地方の冬にも拘らずオヤジが自室にストーブを入れることを許さず、机の足元に小さい電熱器しかありませんでした。そこで聴いた「I wanna hold you hand」のイントロ。
「ガッガ・ガーン!!!」


背骨に電気が走りました。
本当に背骨に電気が走りました。ボリュームも両親が帰って来る前でしたので、相当上げてはいましたがあのイントロのギターの音、そしてキャロルとは全く別次元のサウンドとコーラスワーク。今迄真剣に聴いてなくてすいませんでしたー。的ロック感。既に解散から10年が経ってましたので、ワタクシ的にはロックという見方より、スタンダードなポップスとしか見ていなかったビートルズ。キャロルの方がポップだとその時思いました。

それからは日々、兄貴の部屋で密かにカセットにビートルズをダビングする作業が続きます。(笑)それに加えてストーンズ、キンクス、フーなどのミッド・ブリティッシュものもダビングして行くわけですが、何故かそれらは初期盤しかなく、またヤードバーズからのハードロックに移行して行く物は、残念ながら兄貴のライブラリーにはありませんでした。


そして何故かワタクシ的好みなんでしょうけど、芸術性を求めて行く「ラバーソール」以降のビートルズや、コーラスが余りちゃんとしてないと感じたストーンズは、まだ少年のワタクシには手に余る感もありました。(笑)多分矢沢永吉→キャロルとレイドバックした影響もまだまだ強かったのだと思います。


ま、子供だったんですよ。
何も知りませんでしたから。笑

2016年8月29日月曜日

★ワタクシ的0歳〜51歳までの音楽拝聴遍歴についての考察②★



昨日まで、高円寺の阿波踊りが二日間ありまして、「一年生」という飲み屋さんの手伝いをしました。お店の外で「生ビール300円!」を大声で連呼すること数時間、其の間にサーバーから頂戴したであろう生ビール数杯分。完全にオーバー・スロートしてしまい、本日一日何もせず爆睡でありました。(笑)


あ、音楽遍歴でしたね。


ちょっと横道にそれますが、ワタクシのオヤジという人間はいわゆる「新しもの好き」なひとで、1976年当時、さして裕福な家でもない我が家に60万円相当のビデオデッキを購入し所持しておりました。当時VHSとかβなどという企画は統一されていない時代で、カセットテープはVHSの2倍位の大きさでしたし、3倍速録画なんてのもありませんでしたから、最大60分位で、私のオヤジはそれで仕事で観れない「銭形平次」とか「伝七捕物帳」とか録画していたわけです。さしたる収入もなく、ローレル2000SGXハードトップを乗り回し、先端技術のビデオデッキで時代劇を観るオヤジ。オフクロの苦労は計りしれなかった事は容易に察しがつきます。


しかし、その傍若無人の絶対権力に叛旗を翻す家族が現れました。
ワタクシです。(笑)


オヤジがタイマーで録画するその諸動作をすっかり盗み見していたワタクシは、こっそり何本かあるビデオテープの内の一本を盗み、ヤングミュージック・ショーやらの音楽番組を録画しては友達と観て楽しんでいました。但し、オヤジからかすめたテープは一本しかなかったので、ライブラリーとして保存することはできず、何週間か観たら新たなものを録画するという、それの繰り返しだったわけですね。それでも音楽好きな友達からは喜ばれました。


そんな中学2年生のある日、新聞のテレビ欄をながめつつ「さて、録画して楽しめそうな物はないかな?」と物色していましたところ、山形放送(日本テレビ系)欄に「日本テレビデジタル放送開始記念 番組矢沢永吉 後楽園球場コンサート」というのを発見しました。


「矢沢永吉?」はて、演歌のひと?
フォーク少年のワタクシは何も解らず、ただコンサートと銘打っているので、音楽番組だろうと録画して土曜の早上がりにそれを観たのですね。


しかしそれは全く衝撃的でした。
よく「水曜ロードショー」なんかで観る、アメリカの酒場のシーンで流れるようなビートに合わせて、アタマをテッカテカにギラギラさせたオジさんが、恐い顔をしながらツバキをガンガン飛ばしながらなにやら叫んではいるが、どうやら日本語らしい。そして彼を観て絶叫している観客は全て、「太陽にほえろ」でマカロニやジーパンに吊るし上げられる、チンピラのような格好をしていてそれもまた怖い、でした。(笑)


そう、今までみたような長髪で英詞の洋楽のロックの人とも、黄色い声援を受け笑顔で歌うアイドル達とも、そして面白いMCで会場を爆笑に誘う日本のフォークグループのライブ盤とも全く違う異様な光景でした。しかし、その異様な状況に引き込まれたワタクシは、気がつくと何度も巻き戻しを繰り返しまたそれを観るのでした。


そしてココロに言った一言。
「なんにも判らないけど、このオジさんは一生懸命だ!」と。(笑)


そういえば、ヤマリンという地元のデパートの屋上にあるゲームセンターで、ピンボールをしていた時に毎日流れて「カッコイイ曲だな。」と聴いていた、「時間よ止まれ」という曲が、矢沢ナントカという話を思い出したワタクシは、すぐに本屋に飛んで行き、「矢沢永吉全曲集」というスコアを買い、ビデオに収録されている曲からコピーし始め、友達の「ちょっと不良な」お兄さんからレコードを借りてきてはダビングし、またコードを探るという日々が始まりました。


中学三年生になりましたが、
小学生から続けていたスイミング・スクールと矢沢永吉全曲集のコピーに明け暮れ
、受験勉強などまるでせず、成績がまさに「急降下」していくワタクシを見て、オフクロは憔悴していたと思います。それでもバカ息子は、いままでコピーしていたフォーク・ソングとは全く違うそのコード進行に、「ああ、いいメロディだのー!。」と、悦に入りびたっておりました。


そんな夏。
矢沢さんが鶴岡に来る事になりまして、これに飛び上がったワタクシは、「ヤマグチヤ」というデバートの4階に新設されたチケット売り場に、兄貴と二枚分をしっかり買い、その生矢沢永吉を観て「もう、フォークの時代は終わった。」と、勝手に断言してしまいました。(笑)


よく矢沢さんは、彼に付随してムーブメントとなった「不良の文化」のカリスマみたいな捉え方をされますけど、ワタクシの場合は純粋に「ミュージシャン」としか見てませんでしたので、ファッション的には余り影響されなかったです。今考えてみれば、ソロになってから83年頃までの矢沢さんの曲は、彼が上京された当時の横浜の音楽シーン、ブルースロックとかソウルミュージックに影響されていることがは、ギターを手にしてコードを探ると良く分かります。ブルースもソウルも全く理解していなかった中学生のワタクシには、自然にその世界に導いてくれた入門書のような方なのです。感謝しております。


というわけで受験のための秋の三者面談で、希望の高校には「絶対無理宣言」を担任から突き付けられた母は、知り合いから山形大学農学部の学生さんを家庭教師に雇い入れ、「合格したら何でも買ってやるから、勉強してくれ。」と頼んだオヤジに「じゃあ、エレキギター。」と宣言し、勉強をやっと始めた怒涛の高校編なんですけど。


また次回にさせて下さいー。

2016年8月26日金曜日

★ワタクシ的0歳〜51歳までの音楽拝聴遍歴についての考察。①★



考えてみますと…。
音楽をやっている立場としては、今迄に聴いてきました音楽に格調高きものがあったのか?問い詰めたりすることもなく、ま、書いてみますか。

昭和39年に山形県鶴岡市鳥居町という場所で生まれるわけですね。
現在でも、その頃にワタクシのオヤジが聴いていたライブラリーが実家に残っておりますが、当時はラテンブームだったらしく、東京キューバン・ボーイズのLPが5枚、シングルが10数枚ありまして、それらに混じり二代目広沢虎造師匠の「清水次郎長伝」シリーズ、まいわゆる浪曲の「寿司くいねぇ…」的LPが数枚、何故かザ・プラターズの定番シングル数枚などがありますけれど、…。


いわゆるオフクロのお腹の中で、これらのレコードを「胎教」として聴いていたかは、モチロン定かではありません。しかし、オヤジに触発される事もなく今でもワタクシの兄貴共々虎造師匠の大ファンでありますし、泥酔した30代のある日の明け方、友人のアパートで聴いた1曲に触発され、その足で吉祥寺の新星堂の開店を待って購入したブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのサントラ盤などをみても、何故あの時キューバン・ソンに触手がはたらいたのかは、やはり「胎教」のせいだったのかも知れません。


物心を着きましたときには、
隣市でもある山形県酒田市高砂という海辺の村に引っ越しておりまして、すぐ裏の防砂林を超えると、日本海が望める夏素晴らしく冬厳しい場所でしたが、近所に布団に詰める綿工場がありまして、そこの玄関先の土間に家具調のステレオが置いてありまして、そこの家のお兄さんがよく掛けてくれたのが中尾ミエさんの「かわいいベイビー」でした。


余り何度も掛けるもんですから、ワタクシこの曲をソラで歌えるようになってしまい、夕方家に帰ってからも大声でリピートして歌い、オヤジからキツーいゲンコツを喰らった思い出があります。(笑)3歳にして、アメリカン・ポップスへの初期衝動だったのでしょうか。(笑)


小学一年生を終了するまで酒田市におりまして、二年生から鶴岡に戻りまして。
三年生の時、西城秀樹さんにかぶれました。(笑)初めて自分でポップスのレコードを買ったのが秀樹さんの「ちぎれた愛」でありましたし、「薔薇の鎖」でのロッド・スチュアートばりのマイクアクションは、もしかしたら最初にロックに触れた時だったのかも知れません。そんな頃、秀樹さんが鶴岡にコンサートしに来る事になり、飛び上がりました!。(笑)当時、田舎にはプレイガイド的な場所はありませんでしたので、レコード屋さんがチケットの販売場所になっておりまして、「銀座堂」という今はもうないそのレコード屋さんに、大友君という同級生と並びましたが、我々の10人位前で売り切れるという、絶望も初めて経験したと思います。(笑)


その後、フォーリーブスのコンサートなんかも観ました。
物凄い大きなスピーカーから出る爆音。乱れ飛ぶ紙テープ、まさに黄色い絶叫。アイドルとはなんたるかを知りました。四年生になると兄貴が中学となり、兄貴のライブラリーに吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、チューリップなどのフォーク系、またビートルズ、カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョン等の洋楽が入ってきましたが、弟のワタクシがそれらの大切なレコードを掛ける事は無論ゆるされず、病気で寝ている時、こっそり隠れて掛けて聴いていましたー。


熱で半ばうなされながら吉田拓郎の「人生を語らず」を聴く小学四年生。
タイムマシンがあるなら、あの時の自分を褒めてあげたいです。(笑)


中学生になりました。
兄貴がFを押さえられなく挫折した、ネックが思いっきり反ったフォーク・ギターを片手に
明星の付録の歌本からひろったコードで歌うことのできたワタクシに、アメリカからとんでもないバンドがやってきます。

KISSです。
NHKのヤング・ミュージックショーで観た彼らの武道館公演に鳥肌が立ちました。今同世代の方でハードロックのアプローチを続けている方の、おおよそ8割方は彼処からスタートされたと断言して差し支えないと思います、その位衝撃的でした。その頃になると、二光の通販あるいは、明星の歌本の裏表紙にあったトムソン・トーマスなどの安いエレキギターを購入する同級生が出てきて、ツェッペリンやパープルやジミヘン等を遡っていくわけですね。「デトロイト・ロックシティ」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「天国への階段」は鶴岡のロック少年の三種の神器といっても過言ではなかったかと思います。(笑)


しかし、当時のワタクシはフォークギターにカポタストをつけて、知っているコードの曲しか歌えないただのフォーク好きの少年でしたので、ハイコードを多用するハードロックのスコアについてゆけるはずもなく、また英詞をメロディに乗せることにも慣れずに、レコードは聴いていたのですが、途中で寝ちゃったりしてました。特にクイーンとか。(笑)「日本語で歌うロックの人っていないのかな?」とか、漠然と考えてたりしたわけです。なにしろ地方には情報がなさ過ぎました。


ちょっと疲れちゃいましたね。
続きは次回ということでよろしくお願いいたしますー。

2016年8月5日金曜日

★シン ゴジラにおける「想定外」についての考察★



また個人的にはイヤな季節になってきました。
昨年はついに“ 熱中症 ”なるもので病院送りとなり、ベッドの中で徹底的に水分と若干の塩分を投与されたにも拘らず、なかなか排泄されるものが出ず、「こんなに入っていくものなのか。」と、人体の神秘なるものにむしろ感心をしていました。恐ろしいものです、皆様も充分御注意下さいませ。


さて、ウワサの「シン ゴジラ」を観てきました。
たまたま「映画の日」でもありましたニュー八王子シネマは、改修されて尚昭和の映画館の面影を残す佇まいで、ゴジラ映画を観るにはじゅうぶんな環境。(笑)開演前に大きい方をもよおしましてトイレに入れば、和式しか空いてなくそれでさえ「昭和の男は和式が基本!」などと、ワケのわからない理屈を唱えつつ跨ったのでありました。(笑)


さて、レイトショー20:40から始まった約30年振りのゴジラ映画の感想ですが…。


なんでも今回のこの映画の監督さんが、エヴァンゲリオンの関係者(すいません、有名な方らしいのですが、どういうポジションの方なのか全く存じあげておりません。)との事は、公開前より伺っておりましたが、ワタクシこのエヴァンゲリオンなるアニメ(?)を全く知りませんでしたので、その点を全く先入観なく拝見できた事には、いささかの幸福感がありました。


今回の作品には「想定外」という言葉が何回も出てきます。
ま、そりゃ突然東京湾に怪獣が現れる訳ですから、確かに「想定外」なんでしょうけど、この「想定外」という言葉を隠れ蓑として、政府対応が「責任転化の応酬」を行う場面、また現在の自衛隊法の盲点を突かれて狼狽えてしまう、最終決定者としての内閣総理大臣。また、ゴジラの秘密を独占しようとして、積極的に介入するアメリカ政府と米軍。次の権力ポストを画策する官僚等。


確かに今迄のゴジラ映画にはない、いわゆる「人間模様」な作りにはなるほどな的要素があったと感じましたし、特に総理大臣の狼狽え様などは、「誰がやっても同じ」なんだなーと痛烈に思いました。しかし、役者さんの小芝居が少し匂い過ぎてて、菅直人さんや村山富市さんなんかをどうしても連想してしまうのは、ワタクシだけだったんでしょうかね?(笑) 役者さんの選定というものは、どうしても大人の事情が絡んでしまうのでしょうけど、もう少し無名な役者さんでもいいから起用した方が、リアリティが増した気が確かにしました。


CGといいますか、特撮関係ですけど。
なんとかなりませんかね、もう少し。(笑)
経済的な問題なのか技術的な問題なのか人材の不足?なんでしょうか。
アサイラム・レーベルとかのB級映画より少し上、あるいは同等かも。昭和の東宝、技術の円谷、リスペクト感がたりないんだなと、痛切に思いました。


さて、この「想定外」という言葉の多用でしたが、
どうしても先の震災における福島第一原子力発電所の問題を連想せずにはいられませんでした。そして、福島原発はもはや「ゴジラ」と化してしまい、現在の人間が所持する科学では技術の進歩を待つ他なく、事故発生時も現在においても「想定外の事例でございまして…。」を連発する政府と関係者達。


もはやゴジラは、現実の中に存在するものなのですね。



2016年7月11日月曜日

★「温故知新」なーんて事についての考察。★



参院選終わりました。
やはり投票率が余り変わらなかったのが残念でしたね。自分の意思を示そうとしなかった方が半数近くいるという事ですか…。これから日本は高齢化が進むわけですから、いろんな所で政治に向き合う場面をもう少し考えなければとは思いました。

今回自民党はアベノミクスの成果を訴え、経済再生に向けての更なる前進を主張してきた訳ですが、資源的部分でも金融の世界でも海外に依存している部分が強いですし、余程舵の切り方を誤らない限りは、まぁほぼ世界経済と同調せざるを得ない状況なんだろうと思いましたし、これから劇的に景気が回復するとは有権者もそれほど考えてなかったのかもしれませんね。

さて全てではありませんが、野党の皆様は今回の選挙で与党が3分の2を取ってしまうと憲法改正に突き進んでしまうと連立候補まで出して、物凄い「憲法改正反対」を唱えてきましたが、民進党は名前まで変え、イデオロギーの違う政党と手を組んでまでしても阻止する結果を出せなかったのは、残念だっと思います。しかし、この結果とこの危機感の中でしっかり話し合いの場所と機会を作り得たわけですから、国民投票のその時まで国民の理解を得られる確固とした議論を尽くしてほしいです。無党派層にもです。


さて、学校で「温故知新」という言葉を習いました。
ワタクシの学んだところが正しいとすれば、「古きを尋ねて新しきを知る」なんですよね。先人や先達の方々から「今の日本は、戦前のきな臭い時代に似ている。」というお話がたまに出てきます。そこから今の時代を嗅ぎ取り今、護憲・改憲の議論を尽くすことは
当然必要です。しかし、なにもそれだけではなく日本古来の文化や風習などからにも「温故知新」を考えなければいけないのだろうし、そんなことを忘れてしまったのかな?と感じざるを得ない選挙戦だったなと個人的には思いました。


例えば三宅洋平クンが「ヤーマン」を連発しているのを見て「は?」と調べても出てこなかったり、「put your hands up!」と実に流暢な発音で叫ばれても、多分お年寄りにはわかんねーだろうなとか、やはり違和感だったしどーしても入れられなかったのです。ワタクシが山形県鶴岡市という産で、そこの風土や文化で育った「はじまり」があったからなんでしょうか。


でもね、彼からも色々教わりました。
前回より数万票取れた事は素晴らしいと思いますよ。

2016年7月8日金曜日

★日曜日はとっとと投票行って釣しに行きます。★


こんにちは。
参院選の街頭活動も大詰めになりましたが、個人的には大分前から何処に誰に入れるかは決めておりますので、日曜日はとっとと投票して朝から今年初の浅川釣行することにしています。

今年の浅川、春先からの偵察している結果を申しますと、ワタクシが八王子に越して来てから多分一番お魚チャン達の活性がよく、川面を見ますと良型がチラホラしておりまして、しかしながら神楽亭も今年から二人になり大切な年なので、ついつい釣行もままならず、いつ行こうかいつ行こうかと考えておったのですね。で、選挙の結果とか待ちわびることなくお魚チャンとのやりとりに集中できるなと考えまして、日曜日にしたのです。
こうなると、選挙の結果と釣果をテンビンにかけた場合は、
やはり、釣…。(笑)


てなことを申していますと、「国政に対して余りにも無責任じゃないの?」と言われそうですので、多少は述べさせていただきますとも。


今回の参院選、与野党共色々言いたい事は言い切りました。
ここで大切なのは有権者が与野党の意見にどれだけ関心をもったのか?また、18歳から選挙権を持つことで200万人程その数が増えて、どれだけ新しい支持が得られたのか?まず、これが一番重要な位置を占めてくると思うんですよね。


つまりは、投票率だと思います。


これだけ体制がはっきりと分かれて、SNS等でも双方誹謗中傷の嵐が吹き荒れた結果、投票率が前回と同等或いは下がった場合、その体制が決定した時の両陣営の落胆の度合いはどれだけなんでしょうかね?まあ、一概にマスコミを信じるのは危険ですが、今日(7月8日現在)あたりの選挙動向を流しているのを見ますと、自公連立は定数の3分の2を取る勢いらしいですし、イデオロギーが違ってでも共産党と組み、統一候補擁立という結論を出した民進党は、10議席は失うんじゃないかとか、それでも共産党は単独で或いは比例で議席を倍にするとか…。


また勝手な事をタレ流しています。


しかしね。
例えば体制が組織票を集めた与党側の勝利だとしても、或いは地道に国民に訴えた野党側が勝利したとしても、投票率30%位だとした時のワタクシの「ガックシ度」はハンパないのです。また、30%位で勝利した側が、「我々の訴えた事が民意に反映された結果です。」などと、決して言って欲しくもありません!。


そんな事にならないことを祈りつつ釣りしに行ってきます。
さぁ、お魚チャン達よ。
覚悟!(笑)

2016年6月27日月曜日

★「話し合い」についての考察★

暑くなってまいりました。
オリンピックも近くなりまして、ワタクシの後輩も出場しますので、がぜん期待も膨らむわけなんですけど、後援会へのカンパを捻出する事が貧乏バンドマンにはなかなかできず、とあるお店でバイトをしています。労働の後のビールも美味い季節となりましたー。

そんなある日、高円寺の南口のロータリーでウワサの三宅洋平クンが「選挙フェス」なるイベントをやっていたそうで、バイトで観れなかったんですけど、You Tubeで拝見いたしました。

彼曰く「実は右派も左派も余り言っている事は変わらない、話し合いが足りないんだ。」と。


まあ、確かになるほどと思う部分もありますよ。
例えば彼は発電所からの送電に頼らないシステムで「選挙フェス」の電力を使っていたり、劣悪な環境で労働している東南アジアの労働者を尻目に、大量生産・価格破壊で暴利を貪る某アパレルメーカーのような製品は着ずに、天然素材の服を着ているそうですが、両方とも非常にコストがかかるので普通より高くついてしまうが、そういった環境に配慮した気持ちに切り替える態度が必要だ。的な発言をしていました。


しかし、個人的に自然エネルギーの発電システムを構築したり、限られた賃金の中からその一部でも天然素材で手縫いの「自然にやさしい」ジャケットなどを買える余裕はないのも事実ですし、例えは多少違いますが今問われている「政治とカネ」の問題からすると、自然エネルギー発電システムで選挙演説するよりも、既存の電力で選挙演説する方が現状コスト的に安くなるのであれば、「国民にやさしい」つまりは税金使われ方も安くすむのでは?ともいえないでしょうか。後輩へのカンパを捻出する為の、皿洗いとかしながらふと考えてもみました。


要するに「話し合い」なんでしょう。
今はコストがかかるが、将来的にはスタンダードになるという説得とそれを理解していく努力をするということが、彼が言いたい事なんだとは思いました。総天然素材でコストが高くついた、例えば公務員とかの職員服が議会で問題になっても、「書道のためのチャイナ服」じゃないんだと、ちゃんと理にかなった説明とそれに対する理解が必要なんですよね。原発が全廃炉になった途端に自然エネルギーシステムを止める彼でないことを、切に願います。


そうそう、舛添問題で次の候補が色々挙がった時に、
「別に都民のことを真剣に考えてくれて、しっかり政策に取り組んでくれるんだったら蓮舫チャンでもいいんじゃないの?」と保守寄りのSNSに書き込みましたところ、「オマエの言う事などは聞かない、シカトします。」とか「中共の回し者」とか、沢山のご批判をうけました。(笑)ワタクシ的には自公の都議連の方々に反省と戒めをうながしたつもりだったんですけどねー。(笑)

ここにも「話し合い」が必要なんでしょうね。

2016年6月2日木曜日

★トンネルと白鳥と弁当についての考察★


こんにちは。
何か朝のニュースで、スイスの山間部を抜けるトンネルができ、その長さが世界一となったらしくついに我が「青函トンネル」は2位に甘んずる事となり、少し寂しい気持ちになりました。

なんでも、このスイスのトンネルの総工費は1兆円との事で、国家事業の総工費にしては思わず「安っ!」と感じまして、日本の青函トンネルなら色々利権が絡んで、そんな金額ではおさまらないだろうなと調べましたところ1987年のレートで9000億円らしく、そりゃアルプスとかをくり抜いてトンネルを貫通させたのは大変だったんでしょうけど、こちとらなにしろ海底トンネルですからね、(笑)安く上げたんだなぁと感じました。ま、もっとも9000億円ってお金に対する感覚は全くありませんが。(笑)


その青函トンネルの事を色々調べていました所。
昔、青森から大阪を往復していた「白鳥」という特急列車の事が載っておりまして、「懐かしいなぁー。」と思わず声が出てしまいました。この列車には思い出があるのです。


ワタクシの兄が13歳の時(昭和50年)重い腎炎を発症しまして、その頃ワタクシの故郷には、兄の病気に対して人員的にもインフラ的にも対処できる病院がなく、隣の新潟県の病院へ移されまして、月に一度母が兄の世話をしに新潟に行くことになりました。日曜日には時々ワタクシも連れて行ってもらい、その時乗ったのが「白鳥」号だったんです。


その当時、ウチは裕福だったわけではありませんでしたが、オヤジはワタクシが母について行く時は座席指定券を無理して買ってくれました。鶴岡から新潟までの約3時間、時々楽しみがあったのです。


大抵は、お昼頃に母の作った弁当を食べていましたが、たまに何らかの事情で弁当がない時、当時の「白鳥」号には食堂車が付いていて、母はそこへ連れていってくれました。食堂車は、両側にテーブルが3つずつも並んでいたでしょうか、4人掛けでその一つに座ります。進行方向右側の日本海が眺められる席は人気で、「予約」の札がテーブルの上に乗っていましたが、たまに空いているとそこに座ることができました。


その食堂車で、
ワタクシは生まれて初めて「ピザ」というもの食べました。値段も覚えています、400円でした。(笑)ラーメンを出前で取ると200円前後の頃です、そのペラペラの生地にサラミとタマネギとピーマンとスライスチーズののっかった、直径15センチ程の円いモノを、リボン・オレンジと共に食したあの味のなんと美味かったことか!。(笑)なんて贅沢な旅なんだろう、特急列車と食堂車。「白鳥」号にはそんな思い出があるんですね、そんな…。


でもね、
今食べたいのはむしろ、オフクロが作ってくれた弁当の方なんですね、やはり。
今みたいに密閉式の容器なんてなくて、オヤジハンカチみたいなのに包まれたのは、少し煮汁みたいなのでシミてたりして、アルミホイルにくるまれたバクダンおにぎりの中身は筋子で、ちょっとみがきニシンの味が移っちゃった甘い卵焼き。


不安げな表情で兄貴の事を考えていたのであろう母の横顔を眺めながら、
食べたあの弁当が今、無性に食べたいのであります。

2016年5月8日日曜日

ブルース的に見る「裏方」さん達についての考察。

こんにちは。
遅くなりましたが我々神楽亭、4月28日(木曜日)久我山Bobby's barさんにてワンマンライブがありました。そぼ降る小雨模様の中にもかかわらず、満卓のお客様の御来店ありがとうございました。ゲストにアルトサックスの古家野昌樹を迎えまして、いつもと違う最高の2ステージを行えたと思います。オーナーのBobbyさん始めとするスタッフの皆さん、ありがとうございましたー。

そして、昨日は高円寺mission'sにおきましての熊本・大分九州地震復興支援チャリティーライブ「DaGo support」に参加させていただきました。久し振りのしっかりとしたライブハウスでのライブ、楽しかったですよ。共演のバンドの皆様、Da Go support実行委員の皆様、高円寺mission's熟練の運営・音響・照明のスタッフの皆様、ありがとうございました、気持ちイイー一夜でありました。

さて、音楽を志して約四半世紀。
もうどの位ステージに上がったのでしょうか?
たまに一人でどこかの店で飲んだりしておりますと、ま、一人なワケですからそこのお店の人達の働いている瞬間を垣間見たりするわけです。それを生業にして「サービス業」の方達は生活しているのでしょうけど、ワタクシも実家が商売人として「商人のセガレ」として、やはりサービス業としての理不尽さに喜怒哀楽を噛み締める時があるんですね。


よく、「金払ってるんだからサービスして当たり前。」的なことで、酔客とお店側でトラブルが発生します。何もこれは飲食に限らず一般のサービス業でも起こります。しかし、サービスしている側の方々もやはり人間ですから、「お金の問題じゃない」的な感情も発生しますよね。

ワタクシの場合は、リハーサル時に徹底的にこれからやるライブのために、不安なものを取り除きたいとお店側の方達とディスカッションするようにしています。ま、ワタクシが神経質で不安症な性格ってのが一番いただけない所なんですけど。(笑)歳を重ねて行くにつれて、臆病になっていくのですよ。「ライブは生き物だから…」的な感覚にはなれず、どーしても可能性があるかぎり「いつもどおりの神楽亭を観てもらいたい。」と、あがくんですね。

でも、いわゆる「裏方」の方々は慈悲の心でいつもワタクシの気持ちを汲んでくれるのですね。例えば、ボトム(低音)の音が足りないと悩む→PA(音響)の方は狼狽えているワタクシの顔を見て、落としどころを一生懸命探してくれる。とか、当日初対面なのに登場時の曲に対して色々めんどくさい事を頼む。→照明・構成のスタッフがイメージを膨らませてくれる。なんて事の連続なんですよ。ですから研ちゃんにもよく言ってるんですが、スタッフいわゆる「裏方」の方には「ありがとう。」と言える時間を作ろうといつも言っております。「お金だけではない」彼らの気持ちに対してなのです。


でもね、
多分「裏方」の皆さん、仕事終わって一杯飲んでる時に言ってるんでしょうね。
「今日の神楽亭っての、面倒くさかったな。」って。(笑)
ワタクシも実家のオヤジの商売手伝ってた時、よく言ってました。でもそれ、同時にやりたくない仕事をしている自分への、なんといいますか恥のような、後ろめたさみたいな気持ちでした。「ヤなことやってる対価」では続かないんですよね、やはり。

本当に感謝しています。
ありがとう。





2016年5月1日日曜日

「慈善」についての考察。

九州で大きな地震がありました。
熊本を始めとする被災された皆様には心よりお悔やみと御見舞いを申し上げます。
我々神楽亭も、ボランティア活動に参加するべく調整を取るべく動いております。今暫くお待ちください。

さて、最近ある慈善家の活動に参加させて頂いており、その活動の一端を垣間見る機会を得ましたが、その感想を言わせていただきますと「全ては解らない。ただ足を引っ張らずに自分の仕事を粛々とこなすのみ。」に行き着くかと感じました。

その昔、イギリス王室から世界で最初にエベレストに登るのは英国人でなければならないと派遣されたジョージ・E・マロリーは、記者会見で「何故山に登るのか?」と、問われて「なぜならそこに山があるから。」と答えたのは有名な話なんですけど、


そもそも「慈善」という事への「初期衝動」に理由はないのですね。
そこに「地位」とか「名誉」とか「利害」を考える隙間なんてものは微塵もないと言う事を、改めて噛みしめたわけです。逆をいえば、「利潤を求める」ことであってもその「初期衝動」が純粋であれば、そこには光のようなモノが必ず差し込むとも感じました。


例えば、矢沢永吉さんの有名な話で、
キャロルでデビューして間もなくほぼ無名な時期、ある雑誌記者に「何故芸能界に入ったの?」と聞かれたときに、「お金が儲かるってききましたので。」と答えたのは、純粋な気持ちだったんだと思うのです、やはり。女性にモテたいところからギターを始めたワタクシなどは、「初期衝動」でやはり不純だったんだと悟るわけです。(笑)

それで、改心しなくてはとお手伝いするんですね。
お寺に出家して修行をするように、「こんなオレが改心できるのか?でも無心でやらなければ。」とです。

人生50数年生きてきて、
どんどん「慈善」と「純粋」と「無心」を忘れてゆく自分を恥じます。
本当に恥ております。

2016年4月10日日曜日

★スポーツ選手の実力世界についての考察★

こんにちは。
そろそろ東京での桜も終わりでしょうか。
今年は例年になく色々な場所でお花見しました。季節の変わり目をいつになく噛み締められました。そんな中、我々神楽亭4月15日に渋谷の喫茶smileさんで今月最初のライブです。
そろそろ二人でのアンサンブルにも慣れてきました。是非お越し下さい。


さてワタクシも今から30数年前は、アスリートの端くれでありまして競泳選手でありました。小学3年の終わりから、故郷山形県鶴岡市にある鶴岡スイムクラブに入り、高校3年の夏季国体で引退するおよそ9年間、毎週月曜日を除きガチで朝は5時30分から7時過ぎまで、夕方は6時頃から8時30分まで泳ぎました。合宿で一日最大30000m位泳いだでしょうか。ま、とにかく現在の怠惰で飲んだくれの自分を当時の少年のワタクシが見たら、軽蔑される事は間違いないと思います。(笑)

そんなワタクシが在籍したクラブから、苦節45年目にして初の五輪代表選手が誕生しました。

小関也朱篤(こせきやすひろ)選手24歳、現在はミキハウスに所属するプロのスイマーです。なんと彼はあの北島康介君と同じ平泳ぎの選手なんですけど、今回のリオ五輪の派遣選考会では100mも200mも北島君を破り優勝しましたー。しかも200mでは世界新記録に迫るペースでの優勝だったのですよ!。また、彼を高校時代まで教えた現キムラスイミング代表の木村憲氏は、ワタクシの同級生で共に鶴岡スイムクラブ時代の仲間でもあるのです。


小関選手のリオ代表がかかったこの派遣選考会。
最近はほぼ水に浸かることはなく、酒浸りなオジサンと化したOBのワタクシも、酒瓶をテーブルに置き19:00のNHKニュース辺りからまだかまだかと飲み始め、100で小関選手が優勝すれば完全に記憶がなくなるほど飲み、また200mでは世界新記録を出してしまいそうになれば、テレビに向かって叫び続け、しかも右手にはグラスをしっかと持ったままという…(笑)。そして代表が決まった瞬間には大声を出し、余韻に浸りまた飲む、さらに飲む最高のひとときでありましたー。


しかし、
しかしですよ。
どーしても納得いかない出来事がありました。
それは100m・200m平泳ぎで優勝したのは小関選手であったのにも関わらず、先にインタビューを受けたり時間を長く割かれるのは、北島康介君であったと言う事でした。特に200m決勝後、北島君は引退を表明していましたので、小関選手の表彰式を全てカットしたNHKには激怒しております。民放ならいざ知らずでね。


それは確かに五輪二連覇して、ここ約10年間日本の平泳ぎを牽引してきた彼は素晴らしい。また、民放であるならばスポンサー等の兼ね合いもあるでしょうから、有る程度な「北島優先」はしかたないでしょう。しかし、NHKならば先ず代表に選ばれて、北島君が泳いだことのない記録で泳いだ小関選手を讃え、それに敬意を表して表彰式までしっかり放送してから北島君でもよかったのではと切に感じましたし、また民放サイドにも日本コカコーラ完全スポンサードの下、翌日にでも一時間特番すれば?「サヨナラ北島康介」的な番組をと、本気で怒りを覚えました。


それでね。
小関選手には、マスコミのみなさんあまり余計な取材とか変なプレッシャーかけるのやめて欲しいのです。今日の夕方のニュースでも「きっと北島選手の気持ちは後輩が受け継いでくれます。」的なコメントが多かったんですけど、そんなのはあくまで建前で本当の意味で他の選手の気もちは「早く北島に引導を渡さないと、オリンピックじゃ勝てない。」なんですよ。オリンピックで最終的にメダルを取るのは本人です。ましてや、陸上とか水泳とかの個人競技であれば尚更です。一個人選手の協力者(親族・競技関係者)というものは、真に見返りを求めず献身的なんですよ。インタビューの時、そんな人達のことを想い選手は泣くのです。


商品を売る為のスポンサー
購読数や視聴率しか考えないマスコミ

そんなモノのために、彼らは泳ぎませんよ。
最終的には自分との闘いなんですよ。






2016年4月2日土曜日

★なんとなく「見せしめ」という言葉への考察★

今年も東京での桜が満開の頃になりました。
我々神楽亭、3月3本のライブを行いまして、ワタクシと中村研司二人になりましたが、少しづつ二人でのビート感を掴みまして、ひとライブ事に良くなっていることを実感しております。4月は、最近お馴染みとなっております渋谷喫茶smileさんと、多趣味の素敵なマスターのお店、久我山Bobby's Barさんでのワンマンライブであります。皆様是非お越し下さいませー。


さて、今度「アイヒマンショー」という映画が封切りされるそうですね。
これは1961年にイスラエルの諜報機関「モサド」により逮捕・連行された元ナチスの将校、アドルフ・アイヒマンの戦犯裁判をテレビで世界に公開した男達の真実の記録でありまして、実際公開された放送も賛否両論を巻き起こしたらしく、ワタクシも是非観たいと考えております。


アイヒマンさんは、いわゆる「ホロコースト」における各強制収容所にユダヤ人を輸送する為の部署の中核にいた人物だったそうで、ナチスドイツ降伏後は偽名を使い赤十字が発行した難民証明書を使い、ペロン政権下のアルゼンチン・ブエノスアイレスに逃亡・潜伏していたわけですが、「モサド」の執拗な追跡により拘束、イスラエルに護送され戦犯公開裁判後、死刑が確定し絞首刑となりました。


実はワタクシ、前にこのアイヒマン裁判の公開記録部分を編集したドキュメンタリー映画「スペシャリスト」というのを観たのですが、どーもこのアイヒマンという男の元ナチス将校という冷血なイメージとは違った、ごく普通の事務方然とした淡々と証言を重ねる姿に、強い人間性を感じましたし、逆にイスラエル側の検事の「逆上的」なまでの、「ユダヤ人」としての感情が表に出た尋問。またなにひとつ仕事をしているようには見えない弁護人など、非常に「みせしめ」的な感想を持ちました。


これは前にも同じ感想を抱いた「ニュールンベルグ裁判」や「東京裁判」と同じ、やはり戦勝国である連合国側が敗戦国の戦犯を裁くという「見せしめ」の図式が大きいのだと思うんですね。ただし、「人道に対する罪」の部分では、ホロコーストを行なったナチスと大日本帝国とでは、多少の違いもありまた、「東京裁判」で事後法で裁かれた日本の戦犯に対しては今も司法の世界で賛否が問われています。「アイヒマン裁判」もまた、国際裁判ではなくイスラエルがナチスドイツの一将校を一方的に裁いた意味においては、やはり「見せしめ」の意味が強いような気がするんですよ。


ハンナ・アーレントという哲学者は、
ユダヤ人でありながらも、この裁判を見てアルゼンチンの内政を無視し非合法でアイヒマンを拘束・連行したイスラエル政府を非難し、「人道に対する罪」であるならば、広島・長崎に原爆を落とした連合国側もまた裁かれなければならないと、東京裁判で弁護人となった米国人弁護士と同じ発言をして、シオニズムロビーから物凄い非難を受けました。


第一次中東戦争では、ナチスの残党がパレスチナ側についてイスラエルと戦いましたよね。勝手に国境線を作りイスラエルの独立を認めてしまった国連の責任は大きいんだと思いますよ。そしてこの問題を、「見せしめ」の方法で当時の世界の感情をまぎらわせて、現在世界で渦巻く「難民問題」になんの打開策を取ることのできない常任理事国。


フセインもビン・ラディンもカダフィでさえ、
「見せしめ」だったんですかね?



2016年3月21日月曜日

★ちょっと卑しいんですが、「食う」ことの考察★


さる18日、我々神楽亭八王子SKY DOGさんでの投げ銭ライブ無事終了しました。
今回中村研司が源泉徴収の還付金で購入した新兵器、簡易PAアンプ「cube streetEX50」を使用したのですが、リハーサル時には初めての機材をなかなか使いこなせず新曲を煮詰めることもできなかったりと、まぁ二人になったところでの慣れない部分がまた出ましたが、こういうのは今年一年ライブを重ねていく所で少しずつ修正されていくわけですから、あんまり気にしても仕方ないのですよ。


本番は前回のライブから二人でリズムの取り方に集中しつつ、多少の開き直りと共に全開させていただきましたー。(笑)二人でも何も変わらないことを確認できたと思います。
遠くは千葉県の市川市辺りから東京を横断する形で八王子に来られた方をはじめ、また沢山のお客様にご来店いただきました。メンバー・スタッフ一同心より御礼申し上げます。
更に向かいます。


さて、今回は「食べ物」について書く訳ですけど、
恥ずかしくも50年生きてきた所で、先ず子供の頃の「味覚に対する感覚」で一般の方ひとりひとりの「食文化」は形成されていると思うんですね。これがプロの料理人の方々なんかだと、仕事としてこの「味覚に対する感覚」を研ぎ澄ませて、日々これを追求していく訳でしょうから、一般の方々を「食」で喜ばせる術を知っているのですよ。


しかし、ワタクシが生まれた1960年代中盤以降などから「化学調味料」なるものが確立されてきますと、ワタクシの世代以降は完全にこれに毒されていったわけですよ。例えば「チクロ」なんて甘味料がありまして、「人工砂糖」とか「夢の甘味料」なんて言われ、お菓子やジュース色々なものにガンガン入ってましたけど、後にこれは発がん性が非常に高い事が判り使用されなくなった訳で、毒とは知らず大人から子供まで体内に入れていたのですね。しかし、当時はまだお祖父ちゃんぐらいの世代の方達は、「こんなクドい味のものを食べたら頭がバカになる!」とか言って、孫には食べさせない方もいました。実はワタクシの父方の祖母はまさにこの手の人間でありました。おばあちゃん、怖かったなー(笑)。砂糖を使う食べ物は、確実に御馳走であり贅沢品だったのでしょうね。おかげで、おばあちゃんからは小豆の素材をかんじる「おはぎ」やヨモギの香りが効いた「草餅」など、素材の美味しさを随分教わった気がします。コンビニとかのはやはり「クドい」んですね。


あと、ワタクシの父が「完全魚食主義者」と「食い道楽」でしたので、特に魚の味に対しては親父に感謝しなければなりません。生活に困窮し、ふすまの奥で泣いているようなオフクロを尻目に、昼間からワタクシを寿司屋につれてゆき刺身で一杯やる男でした。(笑)全く物流が確立されていなかった1960年代後半、5歳のワタクシが食べていたマグロの赤身は、ひょっとしたら大間のマグロだったかも知れません。そして、小学4年生になる頃にはレモン汁をかけ、醤油を垂らした「生アワビの肝の刺身」を「美味い」と食っていたクソガキの頃の自分を、ワタクシは憎みます!(笑)。


最近は素材の美味しさを楽しみたいとおもいますので、
「外食=値段が張る」を覚悟して行きたいと考えております。当然そこには「お金」を伴うわけですから、しっかりとしたモノはほぼ食べに行けないワケですから、(笑)そういう時には自分でなーんとなく作るわけですよ。「なーんちゃって」と「妥協」産物なんですが、それでも素材を活かして活かしてと考える時間は楽しいんですね。特に曲作ってて煮詰まる時とかは、気分転換にはいいですよ。


あ、ラーメンはですね。
お店で食べるのが一番ですね。
アレはね。
じゃないとダメな気がします。


2016年3月11日金曜日

★持続することについての考察★

お疲れ様です。
我々神楽亭、
急遽ライブが決まりました。ワタクシが住んでいる八王子という街にSKY DOGというお店があります。SKY DOGと言えば、言わずと知れたあのデュアン・オールマンのニックネームなわけなんですけど、ここのお店は地下にあるんですよ。その地下への階段をぐるりと回ると、なーんかデュアン先生がソファーにもたれてレスポールをスライドしていそうな…、そんな空間が広がります。 本当はマスターの水取さんがお客さんのいない時、アコギを爪弾きながら「龍馬がゆく」を読んでいらっしゃるそうですが。(笑)


なにしろ実にアット・ホームな雰囲気のお店なので、みなさん是非お越し下さい。3月18日金曜日です。我々神楽亭20:00と21:00に2ステージ演奏致します。投げ銭ライブですが、本当に投げると痛い硬貨等ではなく、なんかこう、少しヒラヒラとしたですね…投げても痛くないものでお願いしたいなと…(笑)宜しくお願い致しますー。


このライブが終わりますと、なんかSKYDOGさんは移転をするらしいのですが、
お店を継続・持続するという事は、やはり並大抵のことではできないんだと思いますよ。
まず「お店を持ちたい」と考えても、何もなければ資金を作るところから始めなければなりませんから、取り敢えずはよそで働くなりバイトするわけですよね。働きながら自分の店に夢を膨らませる時間が唯一の楽しみなんでしょうね。



そして遂に開店資金がたまり、物件も決まって内装工事も出来上がり晴れて開店!
オープン当日は知人が集まり賑やかに終了した後は、自分の考えが間違っていなかったの
か?を想いつつ新規のお客様、というか新しい出会いをじっくりと待つ時間が始まるのでしょうね。そうして少しづつ自分のお店を理解してくれる人間も増え喜怒哀楽を繰り返し、自分のスタイルがその地域に根付いてやっと名店とか老舗なんて言われていくのでしょう。


また、ここまでくるのに何十年かの時間が流れるんですよね。
何でもそうだと思うんですけど、「プロになる」ということは宣言するのは簡単でも、それを持続させる事に物凄い労力がいるのだと、周りを見れば毎日そんなことばかりですよ。ワタクシの知り合いでも、お店を維持して行くために他の仕事をしている人が沢山います。でも必ず思うことは、一見「やりたくない仕事」をしているようでも、そこには失いたくないものへの熱情みたいな事を感じますし、皆さんそれを楽しんでいるように見える。「そんなものは初めから織り込み済みだ。」的な感覚をおぼえます。そうして人間としても、一流になってゆくんだなと感じます。


頭が上がりませんよ。



2016年3月4日金曜日

★ツアー開始なんかの考察★

こんにちは。
今年も遂に我々神楽亭のツアーが始まりました。
今年は昨年末まで神楽亭のビートを刻んできた松田雄が辞めまして、ワタクシと中村研司の二人となりその次の新たなる神楽亭のために“NEXT”というお題目で回る事にしましたが、これは松田雄の為の “NEXT”でもあって欲しいという願いも込めました。松田雄には会社員という日本の根幹を支える組織の一員として、信念と変わらぬ情熱を持って取り組んでもらいたいです。


今ですね、

会社員(俗にはサラリーマンともいわれいますけど)は日本社会の根幹を支えていると言いました。単純に言っちゃえばですが資本主義経済の現在の日本でですよ、彼ら或いは彼女達が全員、いま在籍している企業にその理念を追いかけられず、夢もなくなり、幾ばくかの退職金を手にして退職し税金も年金も払わずにですよ、高円寺ガード脇の焼き鳥屋で昼から飲んだくれ始めたとしましょう…。そうなれば解りきったことですが、


日本は終わりますよ。(笑)



ね。

それでは、一般的には自らをアーティストなどと自称し、自らの理念や夢を普遍的に昼間の酒場で一方的に主張し他人に迷惑をかけ、野垂れ死にする確率が非常に高い「芸術家」などと呼ばれている(ホントは自分だけ思っているであろう。)方々は果たして、社会の根幹の一部を担っておりますかね?(笑)


少なくとも音楽に限って言わせていただけるのであれば、

ワタクシ的に見る限りでは、大分怪しくなってきたのでは?と、感じます。日本に於いてかもしれないんですけれど、ポピュラー・ミュージックにおいては、先ず「ツケ」を先延ばしに延ばしてきたその理念と夢が瓦解しはじめているような気がするんですけどね。インターネットで世界が繋がり、フリーに音楽を配信したりダウンロード出来たりするような時代になってきました。そうすると、先ず今まで独占的に利益の分配を取り仕切っていた著作権管理団体とか、大手レコード会社を初めとする音楽出版企業の存在が意味をなさなくなってきてます。


ま、はっきり申し上げさせていただければ、

これら法人・企業の方々は「自業自得」なんですよね。音楽を作り出す側の意見を聞かず、流行を生み出しては壊すをくり返し、印税のパーセンテージも一方的に決めちゃえばですよ、ミュージシャン側からしてみれば自分で管理した方が良いと考えるのは必然ですからね。インターネットの出現で決定的になっちゃいました。バイトとかしなくても自分達だけで音楽で食べれるようになった人、増えたんじゃないですかね?(贅沢しなければですが。)


そうなるとですよ。

これからのミュージシャンとはどうなっていきますかね?
これだけは確実に言えるような気がしますが、真面目じゃなきゃやはりダメな気がします。自分の力で自分の音楽の理念とか夢に真剣に取り組んで、作品とライブに対しては、
自分を徹底的に追い込んで管理する辺りではないですかね。それを成し遂げるためには、他人に任せたりせず、自分で責任を取るってことですかね。


そういえば最近、

昔のジャズマンの方達の話を伺う機会が多いんですけど、
取っ払いでギャラ貰ってた頃の先輩方は皆、自分で管理してしっかり次の為の練習をしてたらしいです。

そう、NEXTの為の。
ワタクシも、そこを目指したいです。






2016年2月27日土曜日

★結局「数の論理かよ!。」的な考察★

こんにちは。
いよいよ我々神楽亭、3月2日に今年の初ライブを秋葉原の秋田犬さんで行います。
ここ1ヶ月程は色々知人のライブも見つつ二人になってからのアレンジの直しやら新曲の構成やらろくに風呂とかにも入らず髭は伸び放題で、しかして酒だけは毎日飲むというじつに悩ましい怠惰な日々であります。

さて、来るべき参院選に向けて与野党の攻防戦に拍車がかさってます。甘利さんの「口利き献金問題やら育休議員の不倫やら自民党にとっては不利に働くような問題を文春さん辺りが色々提示されまして、改めて文春のネタ収集の凄さと自誌を売ることへの節操のなさには、呆れと同時になんか少し怒りも覚えます。


甘利さんの問題では、口利きを頼んだ建設会社の経理担当の存在が全くのグレーで姿を消し、最終的には甘利サイドを揺すり切れずに文春にネタをリークして金を受け取るカタチで終わちゃいました。検察当局の今後の行方を待ちたいです。不倫議員ももう散々マスコミに叩かれ、政治生命は絶たれたと言ってもいいでしょうけど、アレ、偉いのは奥さんですよね。手前の旦那の恥より今後の政権においての自分の立場をしっかり世間に示したというところでは、毅然としていて実に立派だった気がしますよ。


それにしてもこれだけ道徳に反した事をやらかしている与党にもかかわらず、民主党を始めとする野党側のパッとしないのは、やはり国会での政策についての論議よりもつまらない事の揚げ足取りに躍起になっている感がどうしてもしてしまうんですね。野田さんと安倍さんの「旧現総理対決」では、野田さんの迫力に押されオロオロ気味の安倍さん…なかなか見応えがありましたが。(笑)


そして遂に民主党のマスコットキャラクター「みんしゅくん」の失業問題(笑)に始まる連立・新党結成という、半ば「おざなり」で新鮮味のない事態となってきました。鈴木さんという民主党の女性議員は、「イデオロギーの異なる党との連立には反対。」と、離党しましたが、今後は自民と協力していくとの発言にはイデオロギーよりも参院選に向けての自己保身なーんだろうなー、としか思えません。七月まで増えるんでしょうね。(笑)岡田民主党代表の発言もなーんか「政策よりもイデオロギーよりも数だ!」としか聞こえないんですよね、どーしても。これじゃホントに「みんしゅくん」が可哀想です。(笑)


しかし、自民党には更に真摯に慎重に謙虚な政権運営を望んでいますよ。
高齢者社会への法整備と対応、「安保法制」施行に対しての外交、原発問題の解決に向けての益々の前進(廃炉という選択も入れての)等々、山積みですよ。子供を増やすためのの政策も。


「質」なんですね「数」より、
やはりね。



2016年2月21日日曜日

★NHKの新・映像の世紀第5集を観てからの考察★

facebookの書き込みを見ていましたら、
「今日21:00からNHKでビートルズやストーンズやボブ・ディランが出る!」との書き込みが多かったので、てっきり「ヤング・ミュージック・ショウ」の特番でもやるのかな?と、思っていましたら「NHKスペシャル新・映像の世紀第5集」で、革命とカウンター・カルチャーについての項でした。

あの番組は、映像を通じての歴史を振り返る番組なわけですけれど、
今回の「革命とカウンター・カルチャー」を観て、皆さんどうお感じになられたんでしょうかね。ワタクシはやはりロック・ミュージックは革命の一要因ではなく、時の権力者やメディアに振り回された「道具」だったのではないか?と、いう気持ちを禁じ得ませんし、時の権力者と革命を目指す若者がいる限り、戦争はなくならないんだなということを、改めて実感しました。

チェ・ゲバラは、確かに純粋に時の権力者と戦い、正に奇跡の「キューバ革命」を成し遂げ、ロックミュージシャン達からは反体制のアイコンのひとつなわけですけれど。


しかし権力側の人間というのは、直接的暴力という革命をして何かを変えようという考えではなく、ずるがたく外堀から埋めて行こうとするのですね。ゲバラはキューバと同じことがボリビアでも起こせると信じて同じような行動を取り、用意周到に狙っていたCIAを始めとする資本主義陣営から殺害されました。


その頃中国では内戦が終わり共産党が独裁すると、鄧小平ら「実務派」がある意味資本主義的なシステムで国を運営して行こうとします。内外との戦争から国を復興させるには一番早い方法だと考えたわけです。しかし、毛沢東は自らの権力が移行してしまう事を恐れ、またキューバ革命を上手に取り入れて「鄧小平らが行っていることは、共産主義の堕落だ!。」とこれを粛清してゆき、毛沢東体制を確固たるものにしていくわけですね。


では、現在の中国はどうでしょう?
共産主義という名のグローバル経済、貧富の格差の広がりなど、もしあの時毛沢東が自分の権力に固執せずに「実務派」に任せていたならば、中国はもっと早く外交の成熟した国になっていたかもしれませんし、或いはソ連と連み世界の覇権を握る恐ろしい国になっていたかもしれまん。つまりは、毛沢東は自分の独裁だけを願ったそこまでの人で、或いはギリギリで秩序が保たれている現在では、それに貢献している人かもしれません。


パリの学生達の大失敗は、ゲバラと毛沢東を同じくくりにして、平和と自由のために運動を展開し、世界中の学生に広めてしまった事です。ゲバラには生きてて欲しかったです。


日本では、共産党の息がかかった歪な学生運動となり連合赤軍、またその後の日本赤軍など現在の社会では余り意味のなくなったテロリスト集団を生み出してしまいました。実は、ワタクシのオヤジなどは「浅間山荘」までの学生運動には、有る意味同情的な感情を持っていたらしいんですね。(苦学生に対する学校側の不正等には。)しかし「浅間山荘」での、「結局世間に迷惑をかけてしまったという」一般的な感情には勝てなかったんですね。世間も一気に学生運動には冷めていきました。


では、今どうなんでしょうか?
此方側での報道ではISというのは、旧イラク軍の残党だからスンニ派で…。
みたいなくくり方をされていますが、大量破壊兵器を大義名分に戦争を仕掛けてきたアメリカに対して、そんなものは初めからない事を知ってて義憤に燃え、アメリカに対して革命を起こそうとしているチェ・ゲバラのような集団だとしたら?


SEALD'sの学生諸君は今。
IS側につく勇気がありますかねー?(笑)
ないほうがいいんです。
情報ってのはいつも、
少し歪んだカタチで出てくるんもんですから。


ビートルズも、
ストーンズも、
ボブ・ディランも、
そこの真実は解らなかったんでしょうから。

2016年2月18日木曜日

★人の振り見て我が振り直せな考察★

こんにちは。
「三寒四温」なんていうのがありますが、
ここ何日間でも、冬らしい「締まった空気」を感じる時と春めいた「デレーっとした空気」を感じる時がまたきました。「またきました。」=生きている証しな訳なんですね。
ワタクシの生まれた故郷は冬の厳しい東北のある街ですから、あの頃「デレーっとした空気」を感じられる様になると、やはりなんかミョーに嬉しくなったものですけど、もはや故郷で過ごした時間より東京での暮らしが長くなりますと、この「デレーっとした空気」がまた「下から来るアスファルトの熱気」に耐える毎日になっていくのかと、なんか少し憂鬱な気分になるんですね。ま、歳を取ったというのもあるのでしょうけど、今は「アスファルトが縮まってゆく」初冬の辺りが何故か好きだったりします。夜型なのですね、やはり。


さて、音楽をやっている立場上いろんな方の音楽を聴く場面があるわけですが、
それはもう「産みの苦しみ」と「努力」の賜物の数々に日々感嘆しています。上京したての頃は、今みたいにインターネットなんてものはありませんでしたので、休みの日になると本屋さんで「ぴあ」を購入し情報を得て、ライブハウスをハシゴしました。「ぴあ」のライブハウス欄にはバンドの名前が書いてあるだけでしたので、例えば「サンディニスタ」なんてバンド名だったら、「The Crash好きなのかな?」なんて考えながら行って観たらその通りで嬉しかったり、「マイ・ジェネレーションズ」なんてバンド名だったりすると、「これはもう絶対The WHO大好きでしょ?」なんて行って観るとテクノカットしたディーボみたいなバンドでハズして哀しかったり…。(笑)


その「一喜一憂」を繰り返す中で、
必ずしも自分の好みではない音楽にも触れ、ハズしのない贔屓のライブハウスを支持して、バンドを始めるとそのライブハウスに出ることを目標として、「ぴあ」のその店の欄に自分のバンドの名前がクレジットされた時には、飛び上がったものでしたよ。あの頃のチカラ青年の瞳は、ターコイズのように美しかったのです。今は限り無くオッサンの澱みの深みを増しておりますが…。


そう、サンオツになる。
自分がサンオツになるということは、同じターコイズの瞳をしていた麗しの仲間達も皆サンオツになるわけですので、その日暮らしに嫌気が差してギターを肩からはずし、中には憧れていたライブハウスに就職したりして、しかもいい役職についたりしちゃったりして美味いものを食い、適度に責任を任される。結婚したぐらいにして子供もできると守らなければいけないものも増える。それが増殖していくと、昔はゴミのような扱いを受けてきた事はコロリと忘れ、海のものとも山のものともわからない若者のバンドマンごときをですよ、他店に移られる事を恐れ「ウチのアーティストさん達は…」などと呼び、ほホイホイ持ち上げてたりします。(笑)


しかしですよ。
最近またロック系のライブハウスで観る機会が少し増えましたが、
店内が恐ろしく綺麗になってて驚きました。昔はスタンディングの客席の床はタバコの吸殻であふれてたものでしたが、分煙になってたりします。しかも、半ば蔑まれていた「海のものとも山のものともわからない」最近の若者なんですけど、
ルックスもテクニックも素晴らしいです!。「アーティストさん」と呼ばせて下さい!(笑)

「人の振り見て我が振り直せ。」
日々勉強なんですよ。

2016年2月16日火曜日

★スマホ時代からのブログ再開&なーんかもろもろ行事についての考察★

こんにちは。
久しぶりにブログを再開しました。
前にブログを書いていた時はパタンコのガラ携全盛の頃でしたから、スマホが浸透してきた現在と比べれば、いやはや時の移ろいはホント早いもんです。因みに私は今も電話はガラ携なんですけれど、タブレットという3・4年前には考えもできなかったモノを所持し、テレビのない自宅部屋なもんですから、日々これで情報を得ているわけです。また、前のブログを書いていた時には、ツィッターやFacebookなんかの事を「こんなものは、体のいい出会い系サイトのようなもの、犯罪とか起こらないことを切に祈る。」とか、半ばスマホを所持している方々に「恨み節」のような書き込みをしていましたが、遂にfacebookは始めてしまい、ほぼ中毒患者化しました。犯罪を起こさないように祈ってください。(笑)
とにかく再開ということで、宜しくお願い申し上げます。


さて、「行事」というお題を考えてみました。
先日もバレンタインデーというのがありましたが、もう50代に突入しおおよそ女性との関わりも無くなってくると全く無縁な「行事」となりました。世間と積極的に関わることに、ものすごい倦怠感を感じているっていうのもあります。このバレンタインデーっていうものは大分浸透した感なんでしょうね。セクハラとパワハラの温床になりかねない「義理」と「本命」の嵐が、オフィス街や学校とかで吹き荒れているのでしょうか、今年も。


バレンタインデーって、なんか小学三、四年生位の頃(1973・4年頃)突然始まった感があるんですね。放課後、女子が急にソワソワし出した感があるんですよ。アレなんだったのでしょうか?なんか少女漫画なんかで流行ってたんですかね?その前には全くなかった気がするんですよ。チョコレートって、田舎の餓鬼には高級品でしたから貰った時はうれしかった気持ちが確かにあります。クリスマスでケーキ食べるみたいな…。

それから数年して今度はホワイトデーってのがまた突然やってくるわけですが…。
コレ浸透してますかね?ワタクシ個人的には渡した事一度もありません。また、バレンタインデーはチョコってことにほぼ定着してるわけですけど、調べてみるとホワイトデーには、「クッキー、マシュマロ、他のプレゼント、現金等。」急に現実味のある贈り物になっちゃうんですね。現金って…、なんか愛人契約みたいでヤな気分です。(笑)


バレンタインデーというのは、遡ると古代ローマ時代あった儀式的なモノが発祥しているそうですが、ホワイトデーは完全にもう大手デパートの戦略でしかないんでしょうね。だって、「他のプレゼント・現金等。」ですから。男はつらいですね、やはり。


さて、最近「恵方巻き」というニュー・カマーがやってきました。
関西からやって来た「行事」と言われてますけど、もはやズル堅い大人となってしまいましたし、もともと東北出身なワタクシですから若者の言葉を使わせていただけるなら、
「ガン無視」させていただいております。セブン・イレブンさんが「恵方巻きを流行らせたのはウチだ!」と鼻息荒く言われてもですね、だいたい太巻きをまるかぶりして「オエッ」となっているオトナを見たくありませんし、見せたくないです。一説には関西の花柳界で芸者さんに太巻きを男根に見立てて(男根という言葉に抵抗を感じています。)食べさせる遊びから始まったらしき云われもあるらしいじゃないですか。


ちゃんと切った海鮮巻きなんかで、一杯やる。
ま、これはワタクシの「日常」でありまして、
晩酌という名の「行事」でもありたいのです。